明日、東京を経由して旅行に出発するので、その際にテレビゲームとデジタル科学展を見てきます。以前チェックした時は内容がほぼ皆無に近いサイトで、結局どんなイベントなのかわけがわからなかったのですが、今見たところ情報がだいぶ追加されていました。興味のある方は覗いてみてもいいのではないでしょうか。
「もし、展覧会の会場全体がテレビゲームのような空間だったら―?!」―。テレビゲームという“画面の世界”から飛び出し、展覧会の会場という“現実の空間” に置き換え、さらに「個人」だけが楽しむテレビゲームから「会場に居合わせた人」が同時に楽しむことができないか・・・。
目指すところはわかりますが、そんなに新しい試みには感じられないなぁ…というのが正直な感想です。でもまあ、どうせ明日行くのだから、旅行の後にまたコメントを載せていこうと思います。
ビデオゲームの年齢別レーティングに対する僕の見解を骨子部分だけ公開しておきます。
まあ、どういう産業もデカクなっていくとこういう傾向を帯びてきます。黎明期の終焉とかいうやつですね。現時点のゲーム業界についてこれを適用して考えると、
等の問題点が浮かんできます。特に2はいずれ深刻な問題に発展しうるよーな気がします。下手でもなんでもいいから作ってみる…という興味の「入り口」が、小説や漫画などと違って、ゲームは「見えにくい」と思うんです。やってみただけでは、どうやって作られているかがわからない、という点で。そのフォローがまだ不十分だな…という感じがしてますね。
色々と突っ込みどころのあるコメントだったと思います。僕は自分の見解のデータ不足を補いつつ、より楽しいゲームがより作りやすい世の中について考えていくこととします。
ビデオゲームの研究から倫理鑑定、はたまた啓蒙活動っぽいことまで、あれこれやっているCESA。ここの倫理規定って五年前に一度、二年前にもう一度改定されてるんですね。今日知りました。ちなみにこの規定が適用されるとどうなるかというと、ゲームパッケージに「この作品には暴力・出血・ホラー表現などが含まれています」というあのラベルが張られるわけです。
改定項目を以前の規定と照らし合わせてみると、何を変えたかったのかはっきりしますね。でもどうして変更することになったかという説明を書いた場所が分かりづらかったです。
さすがに改定前と改定後の全文を引用するわけにもいかないので、興味のある方は自分で見に行ってください。最初の改定(五年前)時の規定は改定部分にアンダーラインが引いてあるだけで、改定前の規定が掲載されていません。二年前の改定は以前・以後の両方が資料として残っているのですが…。
しかし面白いのが、二年前の改定部分って五年前に改定時点で書かれた(らしき)文章がほとんどなんですよね。せっかく付け足した(あるいは変えた)文章を、また変えてるわけです。どんな事情があったんでしょうか。是非改定にいたるまでの途中経過が知りたいところです。質問のメールでも送っておくことにします。かなり鼻息の荒い規定だったから、どこかにつつかれたのか、あるいは自主規制に関するなんらかの異なった考え方を導入したのか。
多くの作品が倫理規定クリアを一つの目安にして制作発表している現状からいって、僕自身はこの変更に強い興味があります。CESA内部の方向性をめぐる議論によるものか、外部からの反応に応えた形なのか。いずれにせよ、も少し詳しく追ってみたいと思います。
昨日載せた記事に出てきたゲームの製作元であるnamcoのサイトを見てきました。ここを眺めていると、改めてNAMCOって色々やってるんだなぁ…と思いました。で、ハッスルクラブというNAMCO系列サイトが福祉業務について触れていました。〜年齢や障害のあるなしに関わらず、みんなが楽しく過ごせるような時代に向かって〜
というコンセプトらしいです。
ちょっとええかっこし過ぎてる(特にゲームのリハビリ効果の説明は、温泉の滋養強壮効果の宣伝みたい…)とは思いますが、方向性としては支持したいです。これまでゲーム業界は高齢者あるいは障害者というターゲットを無視し過ぎていましたし。NAMCOのリハビリゲームは、まだ既存の製品を車椅子対応にしたくらいのものですが、こうした動きが生き残っていければゲーム開発も道が広がると思います。
障害者や高齢者への対応なんてものを賛美していると、僕もええかっこしいと思われそうですが、先進国と呼ばれる国家のほとんどは少子高齢化の対策に追われています。機械化が進みに進み、一度事故を起こすと腕や足の機能を失ってしまうことだって多々あります。こういう現状で、これらの人々をターゲットに含むことができない業界は先行き不安なことこの上ありません。
コントローラーを素早く操作する、画面に長時間意識を集中する等、ゲームプレイには暗黙の了解が求められています。これらはゲームの面白さにもつながる部分ですから、そう簡単にあらゆる人が楽しめるものなど作れません。しかしより多くの人が楽しめる形を常に模索しなければならないのは、娯楽産業の運命だと僕は思います。これを受け入れ、多種多様なニーズを業界がどれだけ受け止められるか。それがゲームの今後の戦略として重要になってくるはずです。
しかしAnother HTML-lint gatewayでハッスルクラブをHTMLチェックしてみると、105個のエラーがありました。このHTMLは-14点です。
とでました。自分で掲げた理念のためにもっと頑張ってもらいたいですね。
青森県八戸市にあるデイサービスセンター「ちょうじゃの森」。要介護認定者ら60代前半から100歳までの約100人がリハビリに通っている。
腰と足が悪くつえをついてやってきた木村としゑさん(80)は真っ先にゲーム機の前に立った。横穴から出たり入ったりするワニをハンマーでたたいて、その回数に応じた点数を競う「ワニワニパニック」(ナムコ製)というゲーム機だ。
つえを傍らに置くと、ハンマーを持ってゲーム開始。ポコン、ポコン。「週に4〜5回はやる」慣れたゲームのためか、ワニをたたくスピードも速く、手際もいい。「速いな〜」という周囲の声に、手さばきはますます速くなる。
得点は91点。「私たち丈夫な男性がやっても80〜85点ですよ」と同施設本部事務局長の岡田修司さん。ゲームを終えた木村さんは晴れ晴れとした表情で、スタスタと歩き出した。「あっ、つえを忘れてる」と周りから言われる一幕も。
木村さんは「このくらいできると自信がついて、もっとできると思うようになる。(他の通所者に)あんたもやってみてと言って、点数比べするのも楽しい」と大喜びだ。
元記事ではゲームで反応速度が上がるという点に焦点を合わせて見出しとまとめが書かれていましたが、僕はむしろ引用した部分(お年寄りがゲームをプレイしている様子の描写)に興味をおぼえました。
老人ホームやグループホーム、緩和ケア病棟など、お年寄りあるいは末期ガン患者の方などが過ごしている施設の中で、彼らは実際に何をして過ごしているか。それをじかに見ているのは一部の方ですし、新聞記事で知りうるのはどういう催しをしているかなどがほとんどですね。僕は「ワニワニパニック」で高得点を叩きだせるくらいゲームに没頭できる施設って、素敵だと思います。それを通じて他の入居者さんとの話題が生まれるという副次的な効果もグッドです。
医療的価値(リハビリ効果)が云々、というくだりのデータは注目するほどのものではない気もするのですが、何かしらの疾患があったり歳を召していたりする方も一般の方も、一緒に遊べるゲームが今後も現れていけばいいな、と考えたりします。
アメリカではゲームの規制または活性化を含んだ様々な利用法の議論が頻繁にされていて、これから紹介する記事もその一部分です。ちなみにタイトルは日本の某省庁の発表したもののパクリです。あんまりヘンな期待ばかりしないほうがいいのでは?というのが僕の考えなんですが。それはともかくとして、次の記事には高校生が都市再開発というテーマにゲーム制作を通してコミットするエピソードが描かれています。若干長いですが引用してからコメントします。
高校生たちは4人ずつ、4つのチームに分かれた。『チーム1』が開発したのは、『ハイ・コンカー』という古典的なシューティングゲームだ。チーム1の資料によると、「邪悪な開発業者の忠実な手先を倒すことで、ハイ・ラインの神聖な土地を民間の不動産開発によって破壊しようとする開発業者のもくろみを阻止する」ゲームだという。
「ゲームを作っていくうちに、本当に開発業者のことが嫌いになった。業者はこのような歴史的価値のある場所をパブリック・ドメイン(社会の共有財産)から引きずり出し、商業目的で高級不動産などに再開発して台無しにしようとしている」と、チーム1のロサマリー・リベラさんは話す。チーム1はリベラさんのほかに、チャールズ・チャワルコさん、カルロス・ペレスさん、エバンジェリン・シモンズさんからなる。
『チーム2』が開発したパズルゲーム、『ローラー・コースター・マニア』は、ハイ・ラインにジェットコースターを敷設するという、実際の案に基づくものだ。チーム2の高校生たちは米アドビシステムズ社の『Photoshop』(フォトショップ)を使って、ハイ・ラインとさまざまなジェットコースターを組み合わせた画像を作り、各画像をデジタル処理でバラバラにして、それから米マクロメディア社のマルチメディアコンテンツ制作ツール『Director MX』(ディレクターMX)でゲームをプログラムした。プレイヤーはドラッグ・アンド・ドロップの操作でパズルのピースをはめていき、3種類のジェットコースターの画像を完成させる。
『チーム3』は、典型的なアドベンチャーゲーム形式の『オポチュニティー・オブ・ア・ライフタイム』を開発した。プレイヤーがハイ・ラインの再開発について思い思いの構想を描けるようになっており、ゲームがどう展開するかは、どのアイテムを入手して使用するかで決まる。
残る『チーム4』は、ハイ・ラインをレースコースに変えれば面白いと考え、『セレブリティー・レース』というゲームを開発して、市民に遊びの場を提供するような都市設計を提案した。
しかし、他チームから娯楽以外の目的がないと批判され、チーム4はゲームの内容を変更し、ハイ・ラインの敷地にホームレスの保護施設を建設するためにプレイヤーがレースで賞金を稼ぐというものになった。
僕がこの記事内容についてコメントしたいのは、「なぜチーム4が批判されなければならないのか」ということです。ハイ・ラインをレースコースに変えれば面白い…なんて、僕にはとてもいいとっかかりであると思えるのですが。一方で、チーム2は使用した技術の説明、チーム3はゲームの進行方法を載せているのみ。チーム1にいたっては開発業者を悪役に設定しただけで、ゲームの面白さについての言及は一つもない。
チーム4は、ハイ・ラインを「レースコースとして利用できる」という計画時点では思いもよらなかったであろう視点で眺めなおしています。娯楽利用はビジネスチャンスも生み出しますし、それ自体がハイ・ラインの「再開発」または「再利用」とも考えられるはずです。彼らは「再開発とゲーム」というお題から、一番注目できる発想をひねり出したと僕は思います。
要するにテーマへの理解の違いなのでしょう。チーム4の姿勢がテーマにふさわしくないとするのは、「都市再開発は娯楽ではない」と他チームが考えていることの結果だと考えられます。だったらビデオゲームというメディアを利用する必要もないと僕は思ってしまいますが。「双方向性という特性」に注目していても、そもそもユーザーが反応を返す動機(ここでは面白さ)がなければ、一方向のメディアとあまり大差ないのではないでしょうか。
ビデオゲームの教育利用とか、娯楽以外の場へ引っ張り出そうとする議論は数あります。しかしゲームの特性とは何か、それを発揮するのに何が大切か、もっとそうした議論をきちんと踏んでいかないと、簡単にはコンセンサスが取れないだろうなぁ、と。そんなことを思いました。
最近のゲームは過去の名作のリメイクだとか復刻版だとか、そうした話がずいぶん増えてきた気がします。任天堂やスクウェア・エニックス、セガ等の大手がこぞって出してますね。この手のものは賛否両論色々あるようで。僕自身はあまり購買意欲をそそられなくて、やった覚えがないのですが。
しかし考えてみれば、ファミリーコンピュータなる家庭用ゲーム機が発売されてから今年で20年。それだけの時間が経てば、「より進歩を」っていう発想から、「過去を振り返ってみようじゃんか」という考え方が浮上してきてもおかしくないですね。
まあ、僕はリメイクそのものを否定する気は全くないです。問題なのはどう振り返るのかなので。メーカーさんには、過去の名作をいじるなら、そこから新たな作品に活かせるゲーム設計のヒントでも得てほしいな、と思います。今でも売れそうだから出しなおしてみよう、だけだとさびしいものがありますが、ね。
記事を書いた直後に任天堂とカプコン、1980年代のビデオゲームを復活というニュースも見つけました。レトロブームはまだ続きそうですねぇ。