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Junkieta.netlog → Article, 2004-11

2004年11月の記事

素人と専門家 2004-11-25T02-58

どの言葉で検索しても、一応の目先の問題に対する回答は得られそうである。俺が考えたいのは、専門的な言葉や概念を知らない素人は、そこから先どこまで深い理解にまでたどり着けるか、というところだ。

検索エンジンを使って望む情報への入り口を探すことはもはや常識と化してきている。Web上をうろつくのが日課のような人でも、はじめてマウスに触るような人でも、それは同じだ。だが検索エンジンによる検索は(少なくとも現在は)キーワードによる検索だ。

このことは普段意識していなかった。でも思い返してみれば、僕も「Webサイト」を「ほーむぺぇじ」と言っていたし、「IEって何?『いんたーねっと』のこと?」とすっとぼけたことも言っていたと思う。そして気付けばこのような問題提起をする方のサイトに立ち寄るようになっていた。それは語彙が増え、異なるリソースへの入り口を見つけられるようになったからに他ならない。

ググるなりヤフーのカテゴリをぐるぐる回るなり、そんなことをやっていれば目先の必要な情報は手に入る。だが、目先以外の情報へ目先の情報がナビゲートしてくれる可能性はかなり低い。キーワード検索が主たる移動手段であれば、語彙の違いはそのまま得ていく知識の違いまで生むのだ。

今の多くのウェブサイトには、「できない人を導いて、全体の質をより高める」とでもいうような、理想があるだろうか。まあ、あんまないだろーな。専門家は、専門家やその周辺に向けて自らの作業をまとめたり提案してればよく、そこには普通の人が入る余地はない。結局普通の人も含めて、近しい人同士のコミュニケーションのためにウェブを使っているんだ。

「専門家」に誰を含めるかで色々な議論ができる話題。Web上には「専門家」を気取る不思議まーくあっぷサイトの管理者もいるし、突っ込んだ議論をしているのに「若輩者」を名乗る人もいる。そして教育者として立候補するのはたいがい前者であり、後者はXHTMLとかRDFとかWeb以外ではまったく使われない専門用語を連発しあっているわけだ。そして多くの新入生は前者と出会う。自分と語彙が近いし、数も多いから。できない人を導いて、全体の質をより高める理想とは「教育」が標榜してきたものだけれど、それならWeb上は適切な教師と新入生とが出会えない状況だと考えられる。

それで僕が何をできるさ、となると困ったことにろくに考えが浮かばないわけだが。仕様書もまともに読めないマジモンの若輩者が講座なんてものを増設するのはこの上なくこっぱずかしいし、自分以上の間抜けをずっと批判し続けるのもなんだか身がもたない話だし。結局は今の自分でできることでしかもやりたいと思えることなんてたかが知れていて、それでも何もしないってのが一番嫌で。とりあえず力になれそうな人をたまたま見つけた時に、「不束者ですが、それならこういうリソースが参考になるんじゃないかと…」とか抜かしてみるくらいしか考え付かない自分に鬱。「でもそんなもんさ」とか思ってしまう自分にまた鬱。

しかしゴミソースを吐くだけじゃなくて、少しでもできることがあるかもしれないと考えられるのは、幸せなのだな。きっと。

ゲームの善し悪し判定 2004-11-24T23-59

米国の非営利団体、全米家族メディア研究所(NIMF)は23日(米国時間)、子供に遊ばせたくないゲーム・ワースト10の2004年版を発表した。

記事タイトルはワースト10として書かれているが、オススメTop10も掲載されている。オススメの2位が「ピクミン2」であることに少々驚いた。記事のネタ元サイトを流し読みしてみると教育・発育目的に適したゲームがオススメとされているようだが、ピクミン2をどう解釈して2位になったのかが気になる。というか審査の決め手も載せてくれよWired。

販売姿勢については、落第すれすれの「D」評価。7〜14歳の子供に、「17歳以上指定」のゲームを買わせてみたところ、約3回に1回の割合で買えてしまったという。7歳の女児の場合は「成功率」が8%だったが、男児は2分の1の確率で、とがめられずに買えた。

これも気になる。まず「7歳の女児」に対して「男児」が「同じく7歳」なのか「7〜14歳の男児」なのかが文脈からはっきりとれない表記上の問題があるが、素直に受け取っておくと男子の方が咎められずに買えるという状況があるということになる。一つにゲームは女子をターゲットにしたものが量的に少ないから目立つ、気はする。日本であればCESAの調査を見るだけで、ゲームマーケットが男性向けに作り上げられてきたことがはっきりしている。特に年齢指定を受ける類のものはそうだった。ゲームそのもの以外にも社会全体のgenderの問題が絡んでいるとする見方もありそう。ただそもそも米国ゲームの状況自体をあまり知らないから、このあたりはもう少し色々眺めないと見当がつかない。

結局どう見ればよいか今一つわからない。日本でのレーティングはCEROが米国の状況をモデルに策定しているが、他の市民団体がそれだけでよしとせず取り組みを輸入する時はやってきそうだ。規制が全てマズイとは思わないものの、世間との摩擦を回避していくために「なんとなく」形作られていくのは嫌な感じだ。というかCEROのレーティング審査マニュアルが一般公開されていないのが不快だ。「なんとなく」作られてしまう気がするのだ。意見を聞きまくっていれば策定自体困難だろうとは思うが、これではどうにも信頼しきれない。

以前CEROにこの件で問い合わせをしたことがあったが、「審査マニュアルについては非公開とさせていただいています」との返答だった。しかし「粗暴性を助長する表現」だとかが具体的に何をもってそう認定されるかが見えないのでは公正な審査もへったくれもない。市民の監査で公共性を保つとするNPOの方向性として、それでよろしいのかがきわめて疑問。

Sage用ユーザCSS作成 2004-11-24T08-50

Firefox用拡張RSSリーダSageは非常に優れた機能を有している。なにしろブラウザと完全に連動してRSSを表示してくれるのだから、とても馴染みやすい。しかし僕はこいつの外観が今一つ気に入らなかったので、ユーザCSSを作ることにした。

Junk-style for Sage及びCSS適用後のスクリーンショットを公開しておく。なお、後のエントリ概要表示をカットしたバージョンも公開しました。お好みで。使う方はコピペ後に以下の手順でどうぞ。

Sageのユーザースタイルシート導入手順

  1. Firefoxを起動、「ツール」を選択後「Sage」起動
  2. 「Sage」の「ツール」を選択後、「設定」を選択
  3. 「コンテンツエリア」最下部の「ユーザースタイルシートを使う」にチェックを入れ、CSSファイルを参照する

junk-style for Sageメモ

参考情報

既に作成されているSage用ユーザーCSSでは、rain for Sage津波荘-DIARY/RSSリーダーなどが個人的に好き。

WebRingとリンク集 2004-11-22T14-18

Game Review Ringがまったく更新されない。しかも余計なお世話をしてしまったのか、僕が9月にBBSへ書き込んだ「更新マダッスカ」突っ込み以降、他の人もまったく書かない。どうしよう。というか管理人さん大丈夫なのか。何かあったのか。

個人的にはレビューに限ったWebRingというものには非常に興味のある取り組みだと感じていたので、このまま更新されないとなると少し哀しい。自サイトで作るリンク集と違って面白いのはランダムな閲覧。暇で暇で死にそうでだけどいちいち自分で条件設定して検索の旅に出るのはメンドイ、かといって他人のサイトのリンク集の解説読みながら1件1件うろつきまわるのはこれまたメンドイ。そういう時にレビューという共通項目だけで絞ってひたすらランダムに、というのはこういう自堕落な大学生にもってこいなシステムだったのに。

しかし考えてみるとWebRingとかリンク集てーのはRDFとXSLでどうにでもなるんちゃうか、と思い始めたり。foaf構文使ってRing管理者に集結するネットワークとして構築しといて、XSLで絞込み検索とかやって。いや、この編の技術にそんなに明るくないからなんとも言えないけど、そういう形はアリなんじゃねーかと。

既存のリンク集サイトは何が問題かって、絞り込むのが全部ユーザの作業になっちゃうとこ。それならググった方がマシさってところが結構ある。かといって個人サイトのおまけ的なリンク集(うちにもあるけど)は絞られすぎてたり、逆に営業行為じみた相互リンクだらけだったりして、よっぽど解説文に惹かれないと行く気にならない。要は「ここに行きさえすればこんな内容のサイトが並んでるね」という目安が存在するか否かで利用しやすさがえらく変わってしまう。その点、さとみかんなんてものすごく秀逸なエンジンを組んでると思う。更新時刻とサイト名作者名のみ表示という恐ろしいスマートさの上に、そこに並んだサイトにはなんとなく暗黙の共通項が見える。foafなんかいらねーよ(極端)、ってぐらいネットワークの広がりが見えてくる。

なんかこう、Ringの発想からもっとおもろい検索システムが作れないかと考える今日このごろ。

Sage,DictionarySearch更新 2004-11-22T11-38

D lifeさん経由でRSSリーダsageが1.3に、さらに個人的に待ち望んでいたDictionarySearchも0.7にバージョンアップしたことを知る。特にDictionarySearchはfirefox1.0以前に愛用していた拡張だったので、今回の更新で対応してくれたことが非常にうれしい。

一応更新内容について触れておくと、Sageには非常にうれしい機能が追加されている。Firefoxでのブラウジング中、画面右下に表示されるLivebookmark用のアイコンからフィードを直接Sageに組み込むことができるようになった。これで僕はLivelineを使う理由がなくなり、ごみごみしていた拡張欄から一つ省略できた。ありがとう。

DictionarySearchは機能の更新は見当たらない。1.0にとりあえず対応させておいた、というところか。しかしコンテキストメニューから即座に辞書ページへ直行できるようにする、という発想は賞賛に値すると思う。これほどカスタマイズが容易で軽い仕上がりになっているのも素晴らしい(なおカスタマイズ手順は適宜覚書: Firefoxで辞書利用で丁寧な解説がなされている)。ありがたくまた使わせていただく。

フォント実験 2004-11-22T01-47

nihonbashi-katakanaを導入してみた。特に使う用事もないのだが、フォントを変えると同じ文でもまったく違って見えるから楽しい。

で、nihonbashi-katakanaフォントをサンプル表示してみると、当然ながらおもっきし印刷用。

『ッ』などの小文字の入力法すらよーわからん(サンプルは画像編集ソフトによって縮めてある)かったのだが、配布サイトによれば隠しキーで『週・刊・日・本・橋』の漢字5文字も打てるようにしましたとのこと。それでためしにnihonbashi-katakanaをググってみるが、キー配列に触れた記事も出てこなかった。

しかしそもそも隠し要素アリですぜ、とけしかけられていること自体になんとなく苛立ち、あっさりと探索打ち切り。

なおフォントのインストールに関心がある方は、[さいもん]/ウィンドウズOSでのフォントインストール方法をどうぞ。Macの方はわからんですはい。

情報化社会といわれて久しいが 2004-11-21T09-03

Webのことを勉強した方がよろし、という風潮はかなりある。しかし今のところ状況は個人学習に依存しきっている。いくつかの学校ではWebサイト作成の授業なんかやってたりするようだが、教えているところのサイト自体がGifアニメばかりで大した情報もないとこがほとんど。「ほーむぺーじ作りました!」とか書かれてもどうしようもないというのだ。

で、試しに我が出身県を調査してみる。公共機関がいまいち当てにならないので、ボランティア・NPOはいかがなものなのかチェキ。県内ボランティア団体のリストが掲載されたサイトにて「情報化社会」なるカテゴリを選択、検索。

764件の登録データのうち37件該当しました。

そして37件のヒットのうち、Webサイトの情報があるのは4件。うーん…終わってやがる。

さらに群馬県ホームページのアクセシビリティチェックなるものをしているサイトがあったので引用。

音声化対応2点
操作性2点
可読性2点
レイアウト2点
汎用性3点
読み上げ時間4分10秒
ファイルサイズ100210バイト
リンクページ数131

なお得点基準に関しては自治体サイトWebアクセシビリティ調査2004/ページの見方を参照。…しかし惨憺たる結果だ。昨年のデータ同様に。

このネタに関しては、調査項目が浮かび次第随時追加していこう。もしかしたら僕の将来の食いぶちにつながるかもしれない。うん、そうだ。たまにはそういう前向きな感覚を持っておくことにしよう。

デッドリンクスパイラル 2004-11-20T15-59

どこかのリンク集を訪れて、片っ端から関連リソースを開いていこうとするときがある。論文のネタに詰まった時、Blogのネタに詰まった時、特定のテーマに興味津々な時、ただ暇な時、その他Webをうろつこうと考えている時。とにかくも僕は情報を求めてクリックというそのための行動をしている。

当然現状のWebでは、その行為に付随するある問題に相当数遭遇する。デッドリンクだ。あったはずの情報がなくなったことを示す「404NotFound」が、情報化時代の申し子として語られるWeb上のいたるところで存在する。「すでにない」ことを示す情報とのアクセスが可能となっているのは、ある意味では「なかったことにする」よりもなんらかの真実味を帯びているとも言えなくはないのだがその一方で中身のみを求めている人間には苛立ちと望まぬ時間の浪費と屈辱の無意味クリックという歴史が刻まれる。

デッドリンクは関係の死、情報の連関の死である。正当化されうるか否かはともかくとし、それは死という断絶である。

なぜデッドリンクは止まらないのか。いやいや止まらないというよりもイデオロギーなしにデッドリンクを止めること自体が難しいのだろう。Web上にソースを公開すること自体に絡むイデオロギーを持つ者は明らかに少数派であるからして。一度公開した情報の所有権を作者が一手に引き受ける前代未聞の発信方法が必ず孕んでしまう問題であるといえよう。また鯖の管理者の特権的行為やクラックによる消失も当然あるのだが、現状最も多いのは作者の作者による作者のためのロストである。

作品っつーのはな、作った時から作者の手ェ離れんだとよ。

発信方法の簡単さと発信の気軽さが同居している限りこの自覚はWeb上に根付かない。その限りにおいて、Webはいまだ発信媒体としての秩序を保つことができない。

二ヶ月ぶりに批評を掲載 2004-11-17T04-01

ようやっと批評が上がった。まだ書きかけの原稿が手元にいくつかあるけれど、とりあえず一作出来たということでアップ。今回は『ロマンシング サ・ガ』の批評。ストーリーをシステムから運用されるものとして捉えてみたかったので、この作品をターゲットにした。

またゲームボーイ版、サガフロンティアシリーズ、アンリミテッドサガはまたシステム面が思いっきり変わってるので含めなかった。特にサガフロ・アンリミに関しては愛情を感じられないので、多分今後も触れる機会はないだろうと思う。

批評の更新スピードが一番遅いのは批評サイトとして旗揚げしたくせにどうよ、という感じがするけれど、あまり義務感を感じるとかえって書けなくなりそうなので考えないようにしている。ただ、個人的には書きたいテーマも増えてきているので、やめたいとは思わない。こんなザマだけれど、読んでくれる人が少しでもいるならば続けていきたいな、と思う。

私信にかえて駄文 2004-11-16T20-21

溜め込んだ人間が「暴発したい」という欲求を持つのは至極当然な帰結である。恥も外聞も迷惑もモラルも全ては大多数を代表する社会による心理的抑圧に変貌し、そこからはみ出すことで何かを得る、ということがありうると考える。それはわからなくもない。

だがそんな「予定」をまるで真実を手に入れたかのようにふるまいつつ陳腐なイデオロギーで武装して語ることにどれほどの喜びがあるのだ。他者を理解したいという周囲の願望と希望を無視し、理解できない一般人はすっこんでろ、とたかをくくる態度がどこの誰を幸せにできるというのだ。それで本当に満足ならば、もはや対話の余地などない。勝手に憎悪の海で溺れ死ぬがいい。

深刻さを理解されないという苦渋が自分だけ特別に強いとどうしても主張したいなら、それを共有できる形にアウトプットする研鑽を積むべきだ。大多数なんかいらない。たった一人でいい。自分が向き合う存在を意識しない者に世界を語る力などない。それがわかるなら泣き喚け。糞尿を垂れ流せ。存在を主張しろ。俺たちは、コインロッカーベイビーズだ。

真性引き篭もりさんを知る 2004-11-16T11-35

切込隊長BLOG経由で出会ったサイト。

ゲーム酔いだけには自信がある。

ゲーム酔いだけならば誰にも負けないという自負がある。

自信ではなく自負と書くあたりツボだ。

悲しみは共有できないけれど、好きだなぁ。この人。

ときメモ事件の裁判記録 2004-11-15T22-26

ゲームの著作権がらみの情報収集のさなか、かの有名なときメモ事件の資料に出会い、読みふける。非常に興味をそそられたのがここ。

3.3.2「ゲームバランス」「インタラクティブ性」が著作物として保護対象となるか

「ゲームバランス」はゲームのアイデアであって、制作者として知的にもっとも苦労する場面であっても、直接著作物として保護対象となるとはいい難い。

著作物として保護されるべき思想又は感情の創作的表現は、工夫された「ゲームバランス」に従って具体的にモニター画面に展開される、本件ゲームソフトに内包された(多数ではあるけれども限定的に設定された)ストーリー(バーチャルな恋愛模様の表現)とその映像にある。

「インタラクティブ性」とは、シュミレーションゲームに独自の操作方法乃至は操作と反応との関係を抽象的に表した技術的な概念というにとどまり、それ自体をゲーム展開や登場人物に関する制作者の思想又は表現ということは困難である。

プレイヤーによって作り出され蓄積されるセーブデータは、プログラムと別個独立に区別されて存在する単なる数値ではなく、制作者が初期設定の数値によって表した主人公の人物像(能力値)を変化させ、それに応じたゲーム展開を表現するための密接不可分な要素として構成されている。

従って、その初期設定は勿論、コマンドの選択に関連付けられた各能力項目の数値の加減は、本件ゲームソフトの本質的構成部分となっているもので、これを改変し無力化することは、それによる表現内容の変容をもたらすものというのが相当であり、本件ゲームソフトの著作物としての同一性保持権を侵害するものと解せられる。

一審と異なり、この二審では同一性保持権を認めている。この法律解釈が妥当であったかについても色々議論があるようだ。(なお、事件そのものを知らない方は引用元ページに概要なども全て掲載されているので参照を)

パラメータ値によって演出された主人公の人物造形及び値によって変化させるストーリー設定が狂う、ゆえに該当の改造コードは同一性保持権の侵害にあたるとした結論はなるほどなぁと思う。映像及びストーリーの整合性が想定された物語の文脈から逸脱する点で違法となるわけだ。上記引用元サイトのコメントも、

蛇足:当初は、「推理小説を結末から読むのと同じでは?」と考えたが、パラメータ値の変更により、単に最後に飛ぶだけでなく、想定していないストーリーがでてくる(ex.最初に出会う女の子の人数)ことから、同一に考えるべきではないと思い直した。

著作権をめぐる裁判では、該当作品の何を著作権で保護するのかという観点が必ず出てくるので、芸術性のようなものを構造的に表現する試みが為されてとても興味深い。判決そのものには異論が残るとしても、判例の経緯は下手な論文よりもよほど参考になる考察が見えていい。

プログラムとシナリオ 2004-11-14T10-58

ゲーム制作者さもなー氏がこんな文章を書いていた。

僕のように「物語(またはシナリオでもいいですが)を書きたいがためにゲームを作っているわけではない人」がよくぶつかる壁は、「それでも物語を書かないと作品が完成しない」というジレンマです。

僕はむしろ物語を書きたいがゆえにゲームを作ろうとして挫折した人間なので、この記事はとても印象的だった。今でこそ自分でもPerlなんていじってみてわかったが、プログラマーさんは逆の感想を持ちうることを再確認。多分これはあまり知られていないジレンマだろう。レンタルブログを使う人の多くはBlogがなぜ動くかを知らない。ゲームプレイヤーの多くも、なぜゲームが進行するか知らない。意識しないとプログラムは見えないから。

プレイヤーに何が起きているか、何をすべきかを理解させるにはサウンド・グラフィック等の諸要素(視聴覚情報)やストーリーが必要とされ、それらをプレイヤーの操作に反応させるには自前で情報を処理するプログラムが必要となる。それぞれが独立していれば「ゲーム」と呼ばれない。この双方のつながりってのは考え出すととても面白い。僕が批評を書いていて楽しいと感じるのは、この連関を捉えようとしている時でもある。

さて、さらにさもなー氏は上述のジレンマ、物語の呪縛から抜け出す道に言及する。だがこれについては少々疑問がある。

物語を必要としないゲームとは何か考えてみると、それはチンチロリンとかマージャン、チェス、将棋などのゲームが浮かんでくる。つまり「ビデオ」ゲームではないゲームだ。

引用元のBlogにも書き込ませてもらったのだが、インベーダーゲームでも「宇宙人の侵略を阻止する」という物語を持っている。そして「迎え撃つ」という設定が、左右にしか移動しない自機、エイリアンをこちらに到達させないという意味を意識させる。またスーパーマリオブラザーズの横スクロール型アクションは、姫を助けに「行く」という設定が、敵は倒すべきものというより障害であり、「進む」ことが第一目的であることを了承させる。ドラゴンクエストならば、諸悪の根源にたどり着くという目的によって広大なワールドマップの「探索」が意味づけられる。

プレイヤーはこうした大枠の物語があることで、自分がゲーム内で沿うべき道を意識する。そしてその上で「寄り道」したり「裏道」を探したりする楽しみも生まれてくる。ゲームにおけるストーリーはそうした役割をある程度担っていると僕は思う。

少々長くなってきたのでこのことについてはまた書く。新たな角度で考えさせてくれたさもなー氏に改めて感謝。

家庭用ゲームはすでに成人 2004-11-13T22-13

疑問。家庭用ゲームの筆頭として語られるファミコンが世に誕生して、すでに20年経過している。昨今ゲームの効果だとか利用法だとかについての研究が色々出てきているけれど、ゲームを通じて人々の生活が変化した(あるいはしなかった)点について語った研究ってあるんだろうか。

いわゆるITの浸透に対するアンチテーゼとしての研究は数多い。子どもの環境や生活についての歴史、みたいな本の多くは、過去の生活の賛美と、屋外に出ない現在の子どもへの危惧で満ちている。

まあ主義主張に従えばそういう傾向を持つのはしかたないけれど、「屋内に重点を移した生活ってどんな感じよ」ということを過去の生活ともっと多角的に検討しなおせないのかな、と思う。その点、昨今話題になった「ゲーム脳」も、十年以上前の「ファミコン/パソコンに警鐘を鳴らす」タイプの本も、内容的にはほぼ変化がない。むしろより論理の不明瞭さが目立ってきている印象。

家庭用ゲームに限って話を進めても、すでに20年の歴史がある。その間生活はどう変化してきたのか、そこにゲームの影響はどういう形で見られるのか。つまりゲームがこの20年にどんな意味を付与したのか、そのへんの洗い出しをライフヒストリーとか民衆史とか文化人類学とかの方向からやってたらオモシロそうだなぁ、と改めて思う。

RDFブラウザ 2004-11-12T01-35

おもしろっ。

SIMILEというW3C、HP、MITの合同プロジェクトから、Welkinという名のJavaベースRDFビジュアライザが登場した。RDF/XMLファイルを読み込ませると、ノードとアークをグラフィカルに表示してくれて、いろいろ動かしてみることができる。

Welkinの画面は、中央のグラフを下部のボタンでアニメーションさせられる。左側には、そのアニメーションに関連するインジケータがあるが、働きが今ひとつよく分からない

画面下に並ぶボタンでノードを円環配置したりスクランブルしたり、アニメーションさせたりといった操作ができる。グラフ上のノードを選択すると、そのノードが持つプロパティを表示してくれるようだ。まだドキュメンテーションもほとんどなく、これを使ってどんなことができるのか詳しくはよく分からないのだが、何だか面白そうではあるので、紹介しておく。

RDFをグラフィカルに表示するブラウザって確かに見当たらない。コンテンツの提供者がXSLに変換させて、HTMLを読み込ませる形が現状。Operaなんかは自動でリーダーが立ち上がるけれど、これもメーラーみたいなUI。結局RDFの読み方って今のところ更新情報の収集目的に特化されているわけで、サイトの階層構造や詳細なメタデータをRDFが示していても、それを効果的なナビゲーションとして認識してくれはしない。XSLでユーザーが直感的にそう認識しうるものを作ることはできるかもしんないけど。

RDFが「見えれば」どうなんのさ、となると、たとえばサイト内検索なる機能とか、リソース間の参照・被参照の関係をアクセス解析やgoogleに頼んなくてもブラウザが適宜ナビゲートしてくれる、とか。んー、いい感じ。

All smokers are crying... 2004-11-09T23-47

Hisakazu Hirabayashi's Blog/不幸なデザイン経由でたばこの包装デザインの変更を知ってしまった。煙草吸い以外には欠片も興味のない、むしろデザインイメージの低下は望ましいとすら言われてしまう話だけれど…。あるカテゴリに属する僕なんかにはぱよえーんクラスの大打撃。

パッケージの三分の一が注意文という美的センスZEROの姿に、我が愛するhi-liteのデザインも変更されます。その他のJTの紙巻タバコもパッケージデザイン変更のスケジュールが公開されてるので、僕同様ダメ人間な方々はチェックして涙を流してみるのも一興。なぜhi-liteだけ今月中なの(号泣)?。

再配布は無理 2004-11-09T03-15

このBLOGの元の作成者さんはcgiの再配布を禁止されておられるそうで、知らなかった僕はすっかり公開用寸前まで作ってしまっていました。間抜けた話ですね。

というわけですので、最初の記事の予告に反して当サイト上にアップロードすることはできません。期待して下さっていた方がもしおられたら、大変申し訳ありませんでした。

公開する予定の代物を作る時に他人のスクリプトを改造するという形を取るなら、

以上二点の原則をこれからはきっちりと保持していきたいと思います。

読書メモ 2004-11-09T01-20

久方ぶりに熱を出してうなってました。とりあえず病床にて読んでいた本のメモなぞ残しておきます。せっかく色々受けた刺激が熱に浮かれた寝ぼけ頭から消え去ってしまったらもったいないので。

ゲームの社会的受容の研究/白鳥令[編]

上記書籍序章と第一章より関心をそそられた部分をまとめてみる。

とりあえずこんなところだろうか。特にJack Sanger氏の議論には興味がわいて調べてみたけれど、彼の著書は洋書でしかも4551円。きつい…。

Book Description

This book is based on two years' in-depth research, funded by the British Film Institute and the British Library, on a hundred children with entertainment screen technology in their homes, following them home to school and examining the difference in culture in two environments. The question asked is:are children developing the necessary ICT and other skills required from the maturing learner as we approach the twenty-first century? Issues such as gender, parenting, violence, censorship and the educational consequences of their screen-based experiences are at the forefront of the book's coverage.

この本の内容は「家庭に画面を利用する娯楽技術(ゲーム、ビデオ、テレビ等)の持つ子ども達100人を被験者として、彼らの学校と家庭についてまわって文化の異なる二つの環境での違いを検証したもの」のようだ。そして、「子どもたちにこれから必要とされるであろう知識の収集は、本の保障してきた範囲の最前線に画面をベースにした経験が位置するようになることを問題(関心)とする」ようで。

…やっぱり気になる。学校と家庭の文化的相違の検証過程が特に。

似非validを切ってみる 2004-11-07T04-03

重たい辞書とは、おさらば!

分厚くて重たい辞書。いちいち本棚から出してきて調べるのは結構面倒なんですよね。またカバンに入れて持ち歩くのも重くて邪魔。

大量の画像、テーブルレイアウト全開のサイトも重い。個人的には辞書よりも。Valid HTML 4.01!なんて画像はchecker以外にもvalidに見えるようにしてから置いてくれ。

現状では標準準拠ロゴは宣伝材料なんだろな、と思う。前は載せてたけど、考えてみれば準拠しているか否かはブラウザが判断するようになってきているし(けっこう曖昧ではあるけれど)、別にいらんという気がしてきた。

BLOGという在り方に思うこと 2004-11-06T17-00

exciteのblogサービス、それにこのBlogもどきと、僕も世間もよく使っているBLOG。これがまた一つWEB上をにぎやかにしたツールなのは間違いない。日記帳とBBSがくっついて進化したようなものと考えればいいのか。しかし以前のBlogの記事をアーカイブとしてHTMLに変換する作業をし、変な話だけれど僕は「寂しさ」のようなものを感じた。

僕はBlogに自分自身に関するささいな出来事、ゲームのニュースへの僕なりの反応、論文に対する感想など、テーマを定めるもくそもない書き込みを繰り返してきた。その中には生真面目に推敲した記事もあれば思いつきを書き連ねたものもあった。問題なのは、そのどれもが「同じ」に見えてしまったことだ。

それ以前に書いてきた文章、すなわちゲームタイトル毎の批評については、その一作一作について何を考えて書いたのか、なぜそのタイトルに着手したのかなど、書いた当時の想い一つ一つを今でも鮮明に感じ取れる。だがblogの記事にはそれがない。ウェイトの重さで言えば、かなり力をいれて書いたはずのものもあったのに、だ。なぜだろう。それで思い当たったのが、「日付」や「カテゴリ」、そして書いたものを公開する「場」など、メタな部分の違いだ。

たとえばそれまでの批評を「ゲーム」というカテゴリに入れてBLOGの記事の一つにしてしまおうか…と考えてみる。すると、どんなタイトルについてどんな切り口で語ろうとするかよりも、「ゲームについての僕の発言」というメタ情報で僕自身にも読者にも記憶される。そんな想像を辛いと感じてしまうのだ。もちろんユーザーは自分の欲しい情報を欲しい時にスマートに検索できるのが理想だ。だけれども、自分自身の制作した文章に対してこれほど僕の愛着が異なることに改めて驚く。制作と公開の方法の違いがここまで自分にとっての意味を持つとは思わなかった。

おそらく僕は何かを書く、という時に相当の覚悟の差を無意識につけてしまっている。どれだけの労力をかけたか、ではなく、どういう方法でユーザーはその文章にたどり着くだろうか、という想像の結果に強く左右されている。だから過去の記事を保存版としてHTML化する時には強い違和感を覚えた。何か場違いな感じがしたのだ。

そしてBlogというツールを考え直す必要があると思った。別に思いつきや軽い記事がまずいのではなく、僕自身がそれらをどう区分けするのかという問題として。もしかしたらこの悩みの反動で自作などという出張った真似をしたのかもしれない、とすら思う。きっちりこの違和感を消化できなければ、これから先文章を書くこと自体、自分にとって不自然な営みとなってしまう気がする。

たぶん…だが思う。僕はいつからか甘く見ていたのだ。誰かに見られるということ、何かを公開するということを。

RDFの「ダウンロード」現象 2004-11-05T08-48

RSSにブラウザからアクセスするとダウンロード画面に直行してしまう状況が直せなくていらいら。せっかくXSL(eXtensible Stylesheet Language)を作っているのに読み込みもしない。自分の書き方がどこかおかしいのか、何か仕掛けがいるのか…と半日以上悩まされて、ようやっと原因を発見。

RSSフィードを表示させようとすると、なぜかダウンロードウィンドウが…他のサイトではクリックで表示でき、自分のblogもATOMはクリックで表示されるんですけど。。。なぜかRSSフィード(.rdf)だけがダウンロードウィンドウが…

rdfファイルがDLになるのは、Content-Type がapplication/rdf+xmlで送出されているせいでしょう。別に不具合ではありません。気になるなら.htaccessを設定されては。

…そういうことだったのか。しかし例のごとくniftyは.htaccess設置不可。いちかばちかアンカーテキストにtype=application/xmlを記述してみてもダメ(そりゃそうだけれど)。もうxsl変換はあきらめるしかないのか…と思った。

しかしここで裏ワザ(?)を思いつく。拡張子rdfにたいしてapplication/rdf+xmlが吐かれるのなら、拡張子を変えればいいのでは?と。これがビンゴだった。.xmlにてrdfをアップロード、アクセス…綺麗にxslが適用された。

rdf自体xmlで書かれるものなわけで、特に問題もないはず…と勝手に安心しているけれど実情はどうなのだろう。少し不安。だけれども、これ以上調べるのはしんどいのでここまでにしておく。

ただ拡張子の変更はとりもなおさず自戒していたはずのURIの変更となってしまう。あまりにも情けない…。やはりこういう想いをしないためにも別の鯖を使うことも考えるべきか。これまでfeedを利用してくれていた方、お手数をかけて本当に申し訳ない。

苦痛はある日突然に 2004-11-04T17-24

イボ痔。病院には行っていないので正確にはわからないが、ほぼ間違いない。あの穴の横に直径1cmほどのまん丸な腫れ物。なんたる大きさ。そしてその細部には毛細血管のほとばしりが。座ったり立ち上がったり歩いたりそうした日常活動の合い間に全身を貫くような痛み。これがかの有名な病魔なのか。

一日中、座っている方(特に運転手さんなど)は痔で悩む方が多いです。お尻が圧迫され血液の循環が悪くなり、腹圧が肛門にかかることが原因です。

なるべく仕事の合間に短い休みを多くとるようにして同じ姿勢を続けないこと、やわらかい座布団を使い、肛門を圧迫しないことが大事です。

上記サイトの別のトピックで触れられている「痔の重傷度分類」によって自己判断すると僕はかんとんになる。出血はないのが不思議。僕の場合、コンピュータを扱うのは仕事ではないので職業病ではなく生活習慣病というカテゴリになるはずだが、世のITライフに精を出す他の引きこもりは大丈夫なのか?という心配も少し浮上。

医者嫌いの僕はとりあえず市販のぼらぎのーるにて対処。現在のところ痛みは和らいでいるけれど、代わりに周辺部位が痒みを訴え出すというありさま。このままだと原付に乗って大学に通うだけでも苦痛なので、せめて自覚症状だけでもあと少しおしとやかになってくれれば共存できるのだけど。

気がついたら直っていた。やはり医者になどかからなくてよかった。

オンラインとオフライン 2004-11-02T05-05

僕はMMORPGというものをやったことがない。ほとんどのオンラインゲームが毎月一定の金額を支払うことが前提であり、その点でどうにも身を引いてしまうからだ。僕はゲームと聞くとコンシューマ機の感覚がどうしても強く、「ゲーム(ソフト)というものは一度購入したらいくらでもやっていられるのでなければイヤだ」などという貧乏臭い願望をもってしまっている。アーケードの世界についてあまり触れない、触れられないのもここからきている。

しかし「オンラインにはオンラインの楽しさがあるんだ」という指摘を何人かの友人に言われていることもあり、気にはなっている。以前ネタにして記事も書いているし、先日のエントリでも自分の中のゲーム像について疑問を持っていると書いたばかり。なにより大手のソフトメーカーがオンラインに向けての動きをかなり全面に出してきている今、改めて両者の違いが気になってくる。そんな中で見つけた、たく氏のサイトから引用。

PSOって制作者が、「公園・広場」を作り、必要最低限の環境を与えただけなんですよ。だから後は「君たちで遊び方を考えなさい」てな感じですよ。その変わり最低限与えられた環境に関しては、他社の追随を許さぬほどの驚異的な技術力がありました。それこそ「タイムラグの無さ・安定性」ですよ。

僕には他のオンラインゲームとPSOを比較検討することはできないけれど、この文はオンラインゲームそのものの特性をけっこううまく表しているんじゃないかと感じた。公園のような空間、つまり不特定多数の人々が自由に出入りする「場そのもの」をコンテンツとして提供するところに軸がある。それはあまり間違っていない認識の気がする。

この認識からもう少し何かを考えるなら、.hackなどはMMORPGの世界自体をある程度再現しようとした点で非常に興味深い例となってくれそうだ。ガンパレードマーチAIが見出させてくれたオモシロさともまた質的に異なるが、プレイヤーの意志を離れた部分でも場が形成されるという感触は近い。ワールドネバーランドもオンラインを彷彿とさせる作品だった(実際、新作はオンラインゲームとして販売されている)。

「オフライン」と「オンライン」では何が異なり、「ゲーム」としては何が共通しているのか。まだ何が見えてくるか今一つ自分にもピンとこないが、このあたりのことをもう少し時間をかけて考えていってみるのもいいかもしれない。

前後の文書
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published:2005-03-21