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Junkieta.netLog → Critique, 2004-6-17

ゲームを批評する上でのスタンス

  1. 前提…批評の意義
  2. 目的…「一般性」を見出したい
  3. 視点…「システム」を中心に

前提…批評の意義

批評の誕生によって初めて、あらゆる芸術の製作者の意識、表現されたものに「意味」が生まれる。それは表現する者、表現を受け取る者双方のコミュニケーションが成立する瞬間でもある。

事実、尊敬に値する先人達が成した批評は、今なお数々の作品を「名作」として僕たちに示し続けている。ピカソが奇人変人ではなく天才となり、太宰治が廃人ではなく名作家として見なされることはここで主要な意義を持たない。それは副産物であり、結果に過ぎない。その過程の創出、すなわち表現者達の作り上げたものに目を向かせ、その「意味」を読み込む営みを刺激することこそが、批評の果たした大きな貢献だと僕は思う。

もちろん、僕がここでいう批評とは「批評家」と名乗る専門家の仕事を指しているわけではない。彼の作品に感動・共感して製作・発表の場を提供した人、不満の意を表明し作者の意識を動かした人、互いに作品の感想を述べあって解釈の道を広げた人。実に多様な批評家の仕事によって、今日の芸術の価値が認められる社会があると僕は考える。

僕はこうした批評の営みに参加したいと願う者である。

目的…「一般性」を見出したい

僕は今個々の作品を吟味する批評の重要性を改めて感じている。そしてゲームにおける批評とはいまだ黎明期であるとの認識を持っている。別に「ゲームとは何か」という議論や、ゲームの影響を検証する作業を否定するつもりはない。ただしそれらがより僕らの生活に実りをもたらしてくれるようになるためには、まず個々の作品において何が作られ、達成されてきたかを考える必要がある。そこからこうした取り組みを開始するに至った。

僕が批評によって目指すところは、個々の作品から浮かび上がる「一般性」を切り取ることである。つまり単なる「優良ゲーム」「駄目ゲーム」といった烙印を押す作業ではなく、ゲームのプレイヤーも非プレイヤーも理解できる「意味」を個々の作品から取り出すこと。誰もが作品について議論を交わし、解釈を繰り返し、それぞれの思索を広げていくことができるツールとしてのゲームの可能性を開拓したい。その意思が僕の原動力である。

視点…「システム」を中心に

ゲームを批評する、ではゲームの何を切り出して論じるべきか?この問いに正解はない。しかし上述した目的からいって、僕は「一般性」の追及…できるだけ多くの人々に伝わりうる表現を試みる必要がある。そのために僕が選ぶ方法論は、制御系(システム)を中心にゲームを語ることだ。

ゲームと一口に言った時、それは膨大な量の作品を包括している。これら全てに共通するものとは何か?これを考えた時に僕の頭に浮かんだのがシステムだった。初期のゲームであるスペースインベーダーから、最新の3Dグラフィックを多用したゲームまで、システムを構築していないゲームは存在しない。システムの構築とはすなわち「ゲームプレイにおいてプレイヤーが何を行いうるかを設定すること」である。そして僕はシステムと面白さの評価の関係を軸に、自分なりの批評を作っていこうと思い立った。

システムから何が語りうるか…この地平を開拓することができれば、ゲームを「開かれた議論の場」として開放できるのではないか。こうした見地から批評を進めていきたい。

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published:2004-6-17