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Junkieta.netLog → Critique, 2004-11-17

ロマンシング サ・ガ-「選択」と「運命」の間

  1. はじめに
  2. 根幹をなすシステム
  3. 選択の責任と結果の絶対性
  4. 空間の拡張と難易度のパラダイムシフト
  5. 自由の行方

はじめに

スクウェア(現・スクウェアエニックス)のサガシリーズ(注1)といえば、同社の中では『ファイナルファンタジー』に次いで知られているRPGである。このうち、本稿で取り扱うのはSFCで発売された『ロマンシング サ・ガ』(通称ロマサガ)シリーズだ。

本稿ではロマサガで宣伝している「フリーシナリオシステム」の解読を通じて、本作でいうところの「物語を編む」喜びがどのようなものであるかを示したいと思う。「フリーシナリオシステム」の基本は、プレイヤーの「選択」次第で「運命」が変わる、という部分にある。言い換えれば、「選択」という形でプレイヤーは「運命」にタッチするのだ。まずはこの「選択」と「運命」の分析を通して何がプレイヤーの中で構築されるか考察することにする。

根幹をなすシステム

オーソドックスなRPGでは直線的なシナリオが使用される。つまり広大なマップが生成されていても、それはただ広大なのではなく順路というものがあり、プレイヤーはその順路を探索しつつ、最終的には同一の直線をみな歩くことになる設計である。ロマサガなる作品が特異なのは、これら直線進行型ストーリーに対し、エリア横断型とでも言うべき展開をフリーシナリオシステムによって表現した点だ。

フリーシナリオシステムの根幹は、大きく分けて二つのシステムの組み合わせによって成り立っているように思われる。この二つについてまず簡単に触れておきたい。

まず一つは、随所で現れる豊富な選択肢である。プレイヤーが操作するところの主人公の言動・行動を決定するためのものだ。この選択を通じて、シナリオの次なる展開と結末が決定されていく。

もう一つは、舞台の広がり方にある。ロマサガの移動可能な空間は他のRPG同様に限定されていて、物語の進行と共にそれは拡張されていく。相違点は、一度に拡張される量的な差と、特異なゲームバランスによってそれを可能たらしめていることだ。

これから各々の点に言及していきつつ、それらが実現するエリア横断型の展開がもたらしたものを考察していく。

選択の責任と結果の絶対性

プレイ中に登場する数多くの選択次第で、プレイヤーが目にするシナリオの展開が変化していくことはすでに述べた。ただシステムだけを概観すれば、AVGなどは似た形態を標準的に実装しているわけで、特筆すべきではない。重要なのはこれがRPGにおいて実現されることで、展開のパターンの決定のみではなく、「空間」(注2)として残るものをも定める点において他と区別される。

例えばロマサガでは他国を滅ぼすか否か、といったかなり極端な選択を迫られる場合も多い。この時滅ぼした場合、その後のプレイでふと滅ぼした場へと向かうと、かつてあった国はなく、荒れ果てた国土のみが残っている。そしてそれらが復活することはない。行ったことの結果は、たとえクリアに影響がなくとも永遠にプレイの軌跡(すなわちセーブデータ)が残っている限り保持される。それが重要な間違いがあったところで、訂正のチャンスは用意されていない。

「君自身で作る冒険物語」というキャッチフレーズは伊達ではない。プレイヤーが作った結果こそが物語であり、それらはその物語が続く限り書き換えることはできないのだ。かなり残忍な主人公を演じることも、八方美人を演じることもできる。ただ選択の結果は選択の主体たるプレイヤーの記録が残っている限り、シナリオ上に絶対的なポイントとして、つまり歴史として刻まれるのだ。

空間の拡張と難易度のパラダイムシフト

ここからはフリーシナリオを表現するためのもう一つの仕掛けについて言及する。すなわち行動範囲の拡張される量的な差、そして異質な(絶妙な、といってもいい)ゲームバランス設定について述べてゆく。

RPGにはフィールドなるものが存在しているケースが圧倒的に多い。だがプレイヤーはすぐにこの空間を自由に探索するわけにはいかない。その理由はほぼ2パターンに絞られる。特定の条件を満たさないと通れない道があるパターンと、現れる敵キャラクターがあまりにも強く、敵が弱い位置から探索することを余儀なくされるパターンだ。

この2パターンはほぼ定石と化していて、現に今でもこの枠組みは多くのソフトで使われ続けている。こうした「このくらい物語が進んでいれば、このくらいの敵の強さが妥当だろう」という、物語進行状況と戦闘の難易度を一致させる手法は直線的なストーリーにおいて非常に安定するからだ。

だがこれをロマサガは覆してみせ、RPGに複線的な展開を持たせた。その論法は、おそらくこうなる。

  1. 時系列に沿ってイベントをみせる必要はない
  2. 出現する敵の強さがマップの位置を基準に設定される必要はない

まず前者はストーリーを小分けにし、それぞれが因果関係で縛りあわない枠組みの中で展開させる手法へと行き着く。連載物を途中から読んでも理解しづらいが、読み切り専用雑誌ならどこから手をつけても理解可能であるのと同じことだ。しかしそれと同時に、それぞれの物語が結末に対して収束する点だけは共通させておく。それでなければただの小話の寄せ集めであり、『ロマンシング サ・ガ』なる世界は世界として完結しなくなってしまうからだ。

後者は敵の強さをフィールドではなく、プレイヤーの戦闘経験回数に依存させるという画期的な手段でバランスをとった。これでプレイヤーは能力に依存せず各地を回ることがかなりの程度可能となる。どういうシナリオをどんな順番で進めようとストーリー、ゲームバランスともに破綻しない構想がここに誕生する(注3)。

自由の行方

フリーシナリオを成り立たせる条件について述べてきた。ここで改めて「フリーシナリオ」とは何か、改めて考え直してみる。

フリーシナリオは、プレイヤーが文章を打ち込んで小説を完成させるとかそういうものではない。RPGを直線型から複線型のストーリー展開にシフトさせる一つの手法、システムに過ぎない。そしてゲームの中身だけを見れば、選択肢に対応して結果が返されるだけだともいえる。

だが今でこそそれほど目立つわけでもないが、ロマサガ発売当時は、RPGが8人もいる主人公の選択からスタートされることに度肝を抜かれたのを覚えている。せいぜい性別選択が関の山だった「主人公」を、複数の人間の中から選ぶなどと想像したこともなかった。すでにこの選択から複線化された物語は始まっているわけだ。そして自分が編むべき物語を求めて、何かができそうな場所へと進んでいくことになる。

編みあげる物語の結末、「運命」はすでに最初から用意され、待ち受けている。だがそこには編む行為の自由がある。僕達が死ぬことをわかっていても生きるのをやめないように、「運命」の訪れを拒否できなくとも編み続ける自由を満喫する。なぜなのか。

正解はない。ただ僕は結末のために生きるより、編んでいく意味を実感したいのだ。

サガシリーズ
ゲームボーイにて『魔界闘士Saga』が発売されたのを最初に、2,3と続編を発表。その後SFCにハードを変えて『ロマンシング サ・ガ』として新たにデビュー。またも2,3を発表後、PSにて今度は『サガフロンティア』を発表する。これも2が出された後、PS2にて『アンリミテッドサガ』を発売した。計9本にもなる。ただしプラットフォームの変化とともにゲームシステムも大きく変更を加えているため、今回はSFC版の三作品に絞って考察した。
残される空間
RPGは直線型ストーリーを基本的に採用してはいるが、ADVSLGの定石とは異なり、過去立ち寄った空間(ex.町、村など)に戻って情報を収集したりすることはよくある。ロマサガにおいて誰かを抹殺した場合は、その誰かが居たはずだった場所に行っても誰もいなくなっている…など、「その空間を構成していた何か」がプレイヤーの選択で消えたりする。さりげない演出である場合が多いのだが、僕は気付いてしまった時にショックを受けたりした。
ゲームバランスのバグ
このような難易度調整の構想を練り上げた点には素直に賞賛の意を表したい。しかし惜しむらくはデバッグの不徹底である。『ロマサガ2』は非常にバランスが取れた作品だったが、敵から「逃げる」を選んでも敵が強化されていってしまうバグがあり、頻繁に「逃げる」を使っていた人はある日突然敵が以上に強くなってしまっていた、という経験をしている。僕もした。もし『ロマサガ2』をこれからする人がいるなら、「逃げる」は使わないことをすすめておく。
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published:2004-11-17