FTPでうっかりJunkieta Fragmentを消してしまったよ。操作ミス一つで404 Not Found。
虫歯を自覚した。最近時々痛むな、虫歯になったんじゃないかな、と思ってたけど、今回のこれはひどい。痛い。泣きそうだ。
で、セイロガンを砕いて歯に詰めて応急処置をした。これが、すごい。効き目抜群。セイロガン最強。もうね、詰めたあたりが強烈にしびれて、感覚が麻痺してる。麻酔薬なのか? ってくらい。そして痛みがおさまるのはいいんだけど、茶色い唾液が猛烈に出る。とまらない。それで今度はこれが溶けきったときにはまた痛むんじゃなかろうかと、不安になったり。
歯が一本痛いくらいで他のことを考える余裕もなくなってしまう。神経というヤツがいかに自分を支配しているのかわかる。神経がおとなしくしてくれているから、普段の「自分」なんてもんが「ある」と思いこめる。もしこのレベルの歯痛が四六時中続いていたら、僕の正気なんて一週間持たない。その前にペンチとかで抜いちまえってなるんだろうけど。
歯痛のすごさとセイロガンパワーのすごさにびっくりしてついつい書き始めてしまったが、セイロガンが溶けきる前に眠る。そして歯医者に予約をするんだ。忘れるな、自分。
「ヘッダとフッタを固定すんなよ」という主張を読んだ時から、スクリプト併用とかでない文書用のスタイルとしてposition: fixed
を合理的に使う形ってものがありうるのか個人的に気になっていたので、試しに大見出しへ適用してみることにした。きっかけはJintrickのマイクロWeb日記, 前夜を閲覧していて、大見出しが隠されても意外に違和感ないものなんだな、と感じたこと。それで、「控えめについてくる大見出し」ってどういうものになるだろうかと。
以下、自分なりに色々試した覚書。
TITLE
要素との重複が多いし、screenメディアで大見出しが冒頭から消えること自体にはさほどの違和感は感じなかった。むしろ本文を早く読み出せるので軽快になった気もする。とりあえず公開しつつ、もう少し様子を見る。
H1
やらADDRESS
やら色々fixed
してみたものの、結局のところ@page
をしっかりレンダリングしてくれるもの向けじゃないと、position:fixed
を汎用的に使うのは難しいと判断。page-break-before
・page-break-after
と組み合わせれば面白そうではあるんだけど…それもスライドショーとか、あらかじめ短く区切ることを前提にしたコンテンツじゃないとページをはみ出るケースが多すぎて駄目だ。
せっかくCSSをいじりはじめたのだからと、全体的な記述を整理していた。特に@media
の振り分けを丁寧にやり直すことを念頭において再記述。けっこう時間をかけてしまったし、しばらくCSSはミタクナイかな…。昼間なのに、眠い。
商業用ウェブサイトのデザインを一から設計するということに初めて取り組んでいる。初めてのことなので力の抜き具合がわからず、コンピュータの前からほとんど動かず延々と試行錯誤。とりあえず来週までにラフデザインだけ提出するという話なんだけど、ラフにやる方法を考えるより先に手を動かしている状態。
相手は身内から紹介してもらった家族経営のパン屋さん。これがすごく頑張っているお店で、食べる人の身体のことを考えて素材の選定や加工にたくさんの手間をかけ、その上でアーティスティックな創作パンをたくさん作っている。数々の過去の作品が(デジタルデータではない)写真で残っていてそれを見させてもらったのだけれど、テレビチャンピオンにでも出てみればいいのに…と思わずにいられない出来。小さいながらに良心的な経営を続けてきたお店には、独自の歴史・理想・実践などなどが埋もれている。商売で積み上げてきた実績は売り上げ以上に、お店を支える血肉になっているわけだ。
パン屋さんの培ってきたものがどういうコンテンツになりうるのか、その魅力をウェブという媒体でどれだけ表現できるかがデザイン上一番の課題となる。いわゆるウェブデザインのテンプレート、あらかじめ作っておいたスタイル指定とセットになったマークアップにコンテンツを流し込むだけっていう作業は、彼らの仕事に対して失礼にあたる。内容に対してデザインは先行しない。内容の提案もすれば編集・構成もし、その上で初めて適切なデザインというものを考える。ひとまずそういうスタンスで取り組むことにした。
彼らはコンピュータやインターネットのことをほとんど知らない人たちで、「ブログ」とかがこれだけ流行っている中でその言葉すら知らなかったりする。しかし彼らの作っているもの、やってきたことが僕にはとてもステキなことだと思えるわけで、それらが多くの人に読める形で提供されていないのはすごくもったいない。なので今回、採算はまるで合わないかもしれないが、そこは度外視し全力で企画・制作中。これがうまいこと互いにとって気持ちのいい結果になるように、努力しよう。
相方が僕らの母校の卒業式に行きたいというので、せっかくだから僕もついていくことにした。卒業式そのものに出るつもりはないのだが、母校から知っている顔もどんどん減っているし、この機会を逃せばあえなくなりそうな人たちもいるし。
それとあと二つ、時間帯的に絡めるか微妙だけど気になっていること。
前者は前から気にはなっていたし、せっかく京都に行くのだから陣中見舞いくらいしたい。後者は最近知ったばかりだがちょうど21日に無料で開催されるらしいので、話を聞いてみたいところ。ただ帰りの電車の時間がキツイ…。
20日朝5時、相方が迎えに来る。僕は前日(19日)に焼いたプレーン・シフォンケーキと、ホワイトデー用に買っておいた大和屋の珈琲チョコを相方に渡す。「旅行に持っていったら溶けるよ、バカ」と一蹴された。のっけからダメージを受けつつ、相方の車を駅周辺の無人パーキングに置き、駅へ歩く。
朝5時過ぎという時間にもかかわらず、高崎駅はそれなりに人が多い。連休初日から旅行に出る人は多いのだろう。僕らは京都までの切符を買っていなかった。しかし券売機は朝6時まで動き出さず、有人窓口もシャッターが下りていたため、改札にて高崎駅で乗車したという証明だけ受け取って05:21分発の上野行き普通電車に乗り込んだ。
腹を空かせていた相方に、車内の席に着いてから作っておいたゆで卵と塩のセットをおすそ分け、二人で食べる。やはりゆで卵は旅行用に便利。食べ終えたらそのあたりのゴミ箱に丸ごと放り込めるというのは大きい。ペットボトルのお茶まで飲んで、一区切り。すると相方があっという間に眠りこけたので、暇をもてあます。一人旅ではないといって、本もゲーム機もiPodも持たなかったのが災いした。窓の外も暗く、楽しめる景色もない。もっとも高崎-上野間の景色はたとえ鮮明であったとしても見飽きたものなので、話し相手がいなければ大差はない。旅行が単なる移動時間に堕する瞬間。
7時を回って上野駅に到着する。特に迷うこともなく山手線で東京駅へ。東京駅で買い逃していた切符を購入しようと新幹線の改札手前の窓口に向かうが、非常に込み合っていてうんざりする。しかし乗車駅の証明書しか持っていない以上、自動券売機で間に合わせるわけにもいかないので並ぶ。タイムロスになったものの、無事往復の切符を二人分購入し、やや急ぎ足で07:30分発博多行きの新幹線に乗り込む。
駅の込み具合からある程度予想はできていたが、特急内部は人で溢れていた。自由席で二人分の空席を見つけることはできず、デッキの端っこに荷物を置いて過ごす。ここでも相方がさっさと眠りについたので、僕は窓からの景色を眺めようとする。しかし断続的にトンネルへの出入りを繰り返すので、すぐに目が疲れて飽きてくる。睡眠はよくとっていたのでさほど眠る気にもなれず、やや憂鬱な気分で2時間30分を過ごす。
京都に到着すると、ひとまず食事を採ってから母校へ向かうことにした。街に出て美味しい店を漁るという僕の提案は却下され、時間を消費せずに済む京都駅内の店を選択。味と値段はそこそこだが、暇そうな店員がやたらめったら客席の間をうろうろするのが目障りだった。暇ならカウンターに引っ込んでるか、おとなしく動かずにいてくれればいいのに。食事を済ませて、地下鉄に乗り込んだのが10時半。30分弱の時間を過ごして終点国際会館へ。大学のスクールバス乗り場に並ぶ。
あちこちをきょろきょろと見回す。高崎とは違う歩く人の姿、建造物、空気。一年前まで住んでいた町、実家周辺の自動車に依存した都市設計とはまるで違う風景に気分が軽くなるのを感じる。巨大ショッピングモールに群がるようにして買い物をしなくてもいい世界、原付を自動車の合間を縫うように走らせなくてもいい世界。思い出すのはフリーマーケットを頻繁に開催するスーパーマーケットや、いつも珈琲をサービスしてくれたパン屋さん。歩き・自転車・原付と、それぞれの手段でそれぞれに大学へ向かう学生たち、杖を片手に川沿いを散歩するお爺さん、公園で遊ぶ子どもらと、その脇で話し込む親御さんたち。かつて近かった、今は遠い景色。郷愁。
大学に着く。数年間でいくつかの施設が建て替えられ、この一年でもまた一つ職員の詰めていた建物が新造されていた。新造の建造物はどれも総じて階層が高く、今では学内のどこからでも見えた山々が少し遠くなったように感じる。視界が建造物に埋められていくと硬く無味な雰囲気を感じとるのは、すでに巣立ってしまった人間のノスタルジーなのか、それとも大学の変化を外から見たごく平均的な印象なのか。
卒業式を終えて雑談に興じる学生の姿が見える。しかしスーツや羽織袴の卒業生達の中に知った顔はほとんどいない。留年していた友人と偶然出会ったりもしたが、ごくわずかだ。僕と相方が学部を卒業したのが3年前である以上、馴染みの顔はだいたい教員・職員ばかりになるのは当然のこと。相方は在学中にずっとかかわっていた委員会へ顔を出し、僕は大学院時代に多大な心配をかけた教員・職員に簡単な挨拶をして回ることになり、少しだけ別行動。
昼をまわってから、事前に連絡を取っておいたゼミの友人と合流、大学近辺の定食屋へ三人で向かい、恩師の身体が空く時間までひとしきり談話した。大学を遊び倒した友人が某県某市の市会議員に立候補するかもしれないとか、ニートなのに忙しく動き回っている先輩が相変わらずの生活だとか、情報交換を兼ねたよくある世間話。でもいかんせん僕と相方は地理的に母校と大きく離れているため、互い以外に母校の話が通じる相手はほぼいない。だからよくある世間話とて貴重な時間になる。
しばらくしてから、研究室へ。今年卒業したゼミ生達はすでに解散し、部屋の中には恩師と現在大学院に在籍している後輩が一人。僕は「しばらく見ないうちに人間らしい姿になった」と言われ、大学院在籍時代の写真を引っ張り出されて見比べられるハメになった。ガリガリにコケた頬、無造作に伸び散らかした長髪、はっきりと陰影として映し出される目の下のクマ。写真で見るとどんな生活をしているのかアヤしすぎる風貌だと、自分自身ですら思えてしまう。周囲からは「まるで餓鬼だ」という声。恩師は、普通の院生指導だったら「論文書いているか」とせっつくところを、僕相手には「ご飯食べているか」とせっつかなければならなかった、と述懐する。その節は大変お世話になりました。
恩師やゼミの友人達と別れ、僕と相方は次の行き先を馴染みの店が集まっている一乗寺の商店街に決めた。実家群馬の上信電鉄と「日本一高い私鉄」の座を競い合う叡山電鉄に乗り、一乗寺駅へ。まずは恵文社一乗寺店をぐるりとまわり、僕は「廃棄の文化誌 – ゴミと資源のあいだ」に一目ぼれして購入した。それから二人でよく通った喫茶「きさら堂」へ顔出し。マスターと奥さんに「お久しぶりです」と迎えられ、僕はヨーロピアンブレンド、相方はニルギリを注文。奥さんが「以前とオーダーが一緒ですね」、と笑いながら用意してくれる。久しぶりの空間、久しぶりの味が心地よく、奥の座席でしばしのんびり。
ほどよく時間が過ぎて、僕らは晩御飯を食べるため表通りから一本外れたカレー矢を目指した。阪神ファンで元海のコックさんでもある(らしい)おっちゃんが一人で切り盛りしているカレー専門店で、おっちゃんの気分次第で開いていたり閉まっていたりする。行ってみるまで食べられるかわからないのが難点だが、よく煮込まれたスジカレーの味と量は絶品。壁一面に大量のマンガ本が並べられていて、通っていた頃は片っ端から読み漁りながら何時間も居座ったりしていたもの。運良く開店していたので、二人ともスジカレーを注文し、平らげてきた。おっちゃんの話題は客に女の子がいる時といない時では明らかに違う気がする。声のトーンとかも。
食事を終える頃には夜8時を過ぎていたので、僕らは一乗寺を後にして宿をとった出町柳へ。夜道で印刷したGoogleマップを見ながらゲストハウス「地球号」にたどり着き、マンションの一室を改造したような部屋に案内してもらう。翌日の動きを簡単に確認していると、なんだかんだで身体が疲れているのを実感し、風呂に入った後は早々に就寝。たぶん、10時前にはぐっすり眠っていたと思う。
21日は朝8時過ぎに起床。着替えを済ませた後、ゲストハウス一階の居間へ。キッチンの換気扇下にて煙草を吸いつつ、ゲストハウス運営者や他の宿泊者と雑談。僕はゲストハウスに泊まったのは初めてのことだったのだが、彼らによればゲストハウスとは大方、アパート・マンション全体を利用した共同下宿のような雰囲気らしい。京都の場合は、他にも町屋を使ったタイプもちらほらあるとか。別の機会には利用してみたいかも。
化粧等で少し遅れて、相方が部屋から降りてくる。コンピュータを貸してもらって二人でめぐる予定の場所を調べる。午前中は京大内部でストライキ進行中のユニオンエクスタシーに差し入れを持っていくと決めていた。午後は僕が行こうかと迷っていた龍谷大のシンポジウムをあきらめ、相方の希望する恵文社バンビオ店(長岡京)に向かうことに。シンポジウムに行くと午後が丸々潰れる上に、帰りの電車に間に合わせるのがかなりハードになってしまうので、まあ順当なところ。
9時を過ぎるころ、朝ごはんを食べられる場所を求めて散歩に。外はとてもよく晴れていて、前日の曇りがちだった天気とはずいぶん印象の異なる空模様だった。路地を抜け、東大路通りを少し歩いたところでイタリア料理・喫茶「pepe」に入店。モーニングセットを注文し、落ち着いて広々とした店内で食事。食後は住宅にはさまれた細い路地を探検気分で歩きつつ、ゲストハウスへ戻る。
幸いゲストハウスから京大へは徒歩数分の距離だったので、京大周囲のタテカンが並んだ風景を見送りながら京大正門を目指した。ウェブでチェックしていた段階ではストライキの看板がどんどん増えている印象だったものの、周辺ではあまり見当たらない。本当に正門で行われているのか少し不安になったのだが、正門に到着してみるとそれが杞憂であることが一瞬でわかった。「首切りアイランド」の垂れ幕と、象徴たるマグロの頭が、正門から見て見事真正面の位置に。マグロ、堂々としている。ハエがたかってるけど。
事前に連絡も何もなしに出かけていったので、やや緊張した状態でテントに向かって声をかけた。前日から持ち歩いてきたシフォンケーキを差し入れとして手渡しつつ、コタツに招かれてしばしお話。翌日(22日)のイベントや、22日の間に撤去せよという当局の通達のこと、あとウェブでの反響についてとか、色々。あとは遠隔地にいる者の要望としてもいくつか話した。「ブログ」でも何でもいいから、ウェブのどこかでストライキの様子が更新され続けていれば、少しでも様子を気にしている者が「まだちゃんと続けられているんだな」と確認できるからありがたいということ。それと、いつの間にか潰されていつの間にかなくなってしまったりしたらよくない、ウェブにはできるだけ痕跡が綺麗に残っているとよい…など。
後日の話になるが、強制撤去の通告が23日に来たことを知って、「もうニ、三日なんとかして京都に残るべきだったかもしれない」とずいぶんあせった。
いま、当局がきて、10時までに、テントを撤去しなくては、強制撤去する、これは最後通告だ、といいました。
(理由は、芝が傷むからだそうです。by 施設管理の岡本さん)みなさん、ここに駆けつけてください!!
応援してください。
芝が傷むから
!? 口実に過ぎないのはわかっているが、それにしてもひどい想像力の欠如。芝を守るために人間を排除するとな。撤去は回避されたようで何よりだったけれど、施設側は24日の卒業式前に何かアクションをしてくると予想していただけに、結果次第では大きく後悔したかもしれない。
昼をまわった頃、京大を出ることにした。差し入れに来たというのに、逆にパン二つをおみやげに渡され、ありがたくいただきながら道を歩く。相方の要望で出町柳のあんみつ屋「みつばち」に向かい、甘味を味わう。店を出たのが午後2時近く。日差しが非常に温かかったので、鴨川に下りてリュックを枕に二人とも昼寝した。
目の覚める頃には、日が少しかげっていた。午後三時半。出町柳駅前に行き、ちょうどタイミング良く来た京都駅行きのバスに乗り込む。しかし車内がずいぶん混雑している上、道も車で溢れていてなかなかバスが進まない。乗客も全体的にイライラしている様子で、やや居心地の悪い空間。
この時、僕と相方のまん前に立っていたカップルが険悪な雰囲気を振りまいていた。彼らは車内前方にいる赤ん坊連れの親子に対する文句ばかりずっと言っている。親子連れは、バスが揺れるたびに泣き出す赤ん坊を、両親が何度も抱き直しながらあやしていた。その様子に対し、「ひっぱたいて黙らせろよ、うっとうしい」「ああやって甘やかしてる親がモンスターペアレントとかになるんだ」「黙らせられないなら公共の場に子ども連れて出てくるんじゃねぇよ」云々と手前のカップル。僕らは否応なしにその話し声が聞こえてしまう位置にいた。おかげでただでさえ狭苦しいバス内なのに、赤ん坊連れの陰口を一時間弱も聞かされるという大変不愉快な1時間弱になってしまった。お前らこそモンスターカップルだろうが。
バスから解放されると、僕らは京都駅から長岡京行きの切符を買った。長岡京に行ったことはないが、大学院で留年していた先輩と、その研究を引き継いだ同級生がフィールドにしていた地域だった。彼らの研究報告の中で、地元水妨団(水害対策の消防団みたいなもの)の活動に20代の若者が50%以上、お年寄りにいたっては90%近い参加率をたたき出したという脅威のデータが印象に残っている。
目的地である恵文社は駅から近い、と相方から聞いていたが、近いどころか駅の連絡通路から直通で店舗に向かうことができた。品揃えは一乗寺店の方が僕の好みに合致しているのだが、相方によればバンビオ店は漫画で有名なのだとか。確かに、平積みにされた漫画は売れ筋雑誌のものもややマニアックな方面も、他の作品といい意味で浮いているものが多い。また天井近くの壁にはずらりと漫画家の直筆サインが並んでいる。僕は特にいくつも並んだ日本橋ヨヲコさんのサインに目を奪われてしまった。一枚ほしい。
5時を回るまでうろうろし、再び京都駅へ戻る。電車の本数も高崎までの帰りを考えるとあまり余裕がないので、ラーメンでも食べて切り上げることにした。せっかくだから群馬に戻ると選択肢の狭まってしまう豚骨で。京都の豚骨ラーメンといったら僕らは一乗寺の「高安」をいつもひいきにしていたのだけれど、一乗寺まで行く余裕はないため、ここは僕の好みで京都拉麺小路の「一幸舎」で晩御飯。
帰りの新幹線は、行きと違って座席につけた。このとき、喫煙車両ではなく喫煙ルームが車両間の通路に設けられていたことを知って地味に感動した(ニュースにもなっていたようだ)。昔から喫煙車両は喫煙者にも耐え難いレベルで煙が充満していたけれど、席を立って向かう喫煙ルームだったらその苦しさはない。それに座席で吸えてしまうと暇な移動時間に手持ち無沙汰で吸うことが増えるので、本数の節約にもなる。まったく吸えないとガマンする苦痛が残るが、一手間かけて吸えるこの程度が丁度よい。それに分煙も、車両を移動するときいやがおうにも喫煙車両を横切らねばならないよりは、この方が形としてずっとスマートだと思った。
結局新幹線では移動時間のほとんどが睡眠となり、東京で山手線、上野で高崎線に乗り換えた後もよく眠り、自宅へは夜11時半あたりで到着した。二日間の忙しい日程ではあったものの、ほど良く充実した時間の続く旅行だった。満足。
動画にした小説をニコニコ動画で公開するということについて。
BLOGという名の日記が述べるところ、閲覧に登録が必要なサービスはウェブの利点を殺しているという批判は理解できるが、「流行に乗ること」への批判と「流行のコンテンツ」批判をいっしょくたにしているな。
挑戦とか新しい価値とかいろいろ言っているけれども、所詮「ニコニコ動画」もmixiも一時の流行に過ぎないのであって、前にも言ったように新たなサーヴィスが出ればみんなそっちに移るに決まっている。静的Web日記はBLOGに取って代わったし、mixiが誕生したおかげでメッセンジャーも昔ほど利用されないし、メーリングリストは全然流行らない。そして、サーバースペースを借りることなく、いまや「プロフ」で自己紹介ができるようになってしまった。和塩の「簡単ホームページ作成サーヴィス」なんぞ、今は役に立たない。
Webでの流行は次々と変わるが、Webそれ自体の姿は今の今まで依然として換わっていない。この時期に「動画で小説」などという新たなことにチャレンジしても、いずれは流行に従っただけの代物と化す。いつまでも残したいのであれば、文字情報としてアップロードするだけで終わりにしておけば結構な話だ。無闇に新奇を追うものではない。情報の価値は媒体で決まるものではないし、評価は百年後の人がするもの。
情報の価値は媒体で決まるものではない
というなら、新奇
だからといって動画コンテンツが無価値だと断じる根拠もない。それに、動画よりHTMLをはじめとする文字情報の方が検索エンジンにひっかかりやすいだのなんだのって話は、表現の媒体としての特性とは一切関係ない些事に過ぎない。ついでに言っておくと、セマンティックウェブの話―RDFの活用などを想起すれば、テキストだけでないさまざまなリソースが幅広く参照可能なものとしてウェブに位置づいていく可能性はけして低くない。
一方、対話相手であるRt氏が求めている挑戦
とか価値
というのは、文脈から判断するに表現とそれに付随するコミュニケーションにおけるもの。
(引注:小説を動画にする必然性はないという前提を認めて)その上で僕は、挑戦してみよう、と思った。氏の言葉を借りるなら、動画は一種のプレゼンテーション。だったら、小説をプレゼンテーションしてみたらどうだろう、と。現在既に世の中にはビジュアルノベルというものがある。「CLANNAD」だったり、「Fate」だったりがそうかな。これらの作品群は、ノベルだから文章が主体となっている。そのノベルに、映像や音楽などの効果を付加することによって新しい価値を生み出している。
テキストだけの方がいい、ってなったらlink type="text/html" rel="alternate"
とかdcterms:hasFormat
とか使って案内すればいいんだから、作りたいものを好きなやり方でどんどん作ればいいと思う。更新・追加を次々にできるってことはウェブの大事な特徴だし、リソース表現の形式が自由になっていくことだって目指される方向性の一つ。一時の流行かどうかなんて話、それこそ百年後の人
が決めることでしかないんだから。
相手のいる対話において、ウェブの利点を活かして公開してほしいと思うなら、具体的な要望としてコメントすればいい。なのに、次のようなセンテンスが登場するのはどういうわけなの。
とりあえず、言いたいことは大体述べた。Rt君よ、それでもなお「閉鎖的なコミュニティ」に投稿しようとするのであれば、冒頭で示したような「合理的な理由」を示したまえ。それができないのであれば――君は、「閉鎖的なコミュニティ」に篭って自慰行為に浸っている、ということになる。
もちろん、僕の主張は独自のものとは思っていない。例えば『リンクについて「リンクは自由!」』の冒頭に掲げられている引用文で言わんとしているようなことこそ、僕がWebにおいて理想としうるものであるのだ。これはWWWを作った人が言っていることなのだが、まことに美しい思想であると思う。これに具体的な論拠を挙げて反論している人を僕は知らないのだが、Rt君よ、君にそれができようか。できるのなら、やってみたまえ。
示したまえ
とか君にそれができようか。できるのなら、やってみたまえ
とか、別にウェブの理念と敵対すると言っているわけでもなんでもない、登録制サービスに価値を見出し創作意欲を沸かした相手に対する言葉なのか、これが。一動画制作者に対し、お金や機密情報が関わる
といった合理的な理由
を提示しろ、さもなくばお前はオナニー野郎だ、と言い募ることがウェブのまことに美しい思想
に基づいていると? 対個人のくだらないレッテル張りにウェブの理念を持ち出すのはやめてほしい。傷付くのは盾にされる理想のほうだ。
僕の言及に対する、「BLOGという名の日記」の追記記事が出ていた。
正直言って先日の記事で僕が言ったのは暴論だと思う。
対個人のくだらないレッテル張りにウェブの理念を持ち出すのは自分でもやりすぎだったように感じる。Rt君はそんな僕によくついてきてくれたから、その真摯な態度には感謝しないといけない。「悪いのは私だ」。
昔付き合っていた彼女と相方と、三人で映画を見に行く夢を見た。映画が始まる前の空き時間、二人はなぜかものすごく仲良く話していて、僕はその間に入り込むことすらできず眺め続けている。何の話をしているか気になるが、二人はくすくすと笑い続けるばかりで、僕の理解可能な言葉として内容が漏れ聞こえてくることはない。僕は三人分のジュースが注がれた紙コップを抱えるようにして持ち、二人に手渡そう、手渡そうとするのだけれど、いつまでもできずにいる。そういう夢だ。
二人の会話には切れ目がない。おそらく放っておいたら二人は、いつまでもいつまでも、微笑みながら話し続ける。映画が始まり、終わり、また次の映画が始まり、終わっていく中、彼女たちはここからただの一歩も動かずに微笑みあう。行きかう人々はみな彼女たちを気にもとめないか、そうでなければ楽しそうに話す人たちだな、と思いながらやはり素通りしていく。それは単なる予感であるはずなのにこの上ない現実感、他のあらゆる事象を超越したリアリティを内包していた。
つまり、二人は一つの世界だった。「映画館で立ち話をする人間」、そして「穏やかに語り合う二人の女性」というシーンにおいて、二人はあまりにも完璧だった。二人だけで完結している世界がそこにあった。それは一切の罪、一切の欲望、一切の穢れから解放されていた。何も寄せ付けない崇高さと、何も要求しない孤高とが合致していた。時折こぼれる笑みは、どんな悪意も入り込めないはるか遠い福音のカケラに他ならなかった。どんな違和感もそこに発生する余地はなく、この世の誰の人生においても、これほどに美しく調和した世界はこの目前のものを除いて存在しえないことは確実だった。
なのに僕だけが、二人の女性がフォーカスされたその光景を、この上なく異常なものだと確信していた。二人は実際に顔を合わせたことがない。そして僕らは三人であり、三人は映画を見に来ているはずだった。であるのにその二人が、二人だけで世界を構成しているという目前の光景を許せなかった。二人はたまたま意見が合致したり、話が盛り上がって僕のことを忘れて夢中になっているのではない。二人は、僕のいる空間、さっきまで僕と二人が「三人」でいられた空間に生きることを辞めたのだ。それは、僕という歴史に対する根本的な攻撃に違いなかった。
やがて上映開始を告げるブザーが鳴った。僕らはまだ席にもつかず、上映ホールの入り口あたりに立ち続けている。相変わらず僕は会話に混ざることができず、二人に「見に行こうよ」と言い出すこともできない。ただ掌の中で紙コップのジュースが冷めていくのを実感する。紙コップの汗が水滴となり、指の間からこぼれ出し、僕の薄汚れたスニーカーを濡らす。靴下に湿り気が伝わり、足の指が不愉快な感触を訴える。二つの掌で三つの紙コップを持ち続けるというアンバランスな状態も重なって、僕は現状を維持することにストレスを強めていった。
おそらく、この二人は僕の動きに何の関心も示さないだろう。そして僕が少しでも動いたら、予想は事実になってしまう。予想である、主観的推測であるという防波堤はほんの一瞬で砕かれてしまう。だから僕は微動だにしない。だから僕は歩き出さない。だから僕は口を開かない―なのに足の指は不快感を訴え続け、掌は水滴でぐしょぐしょ、目は視線のやり場に迷い続けている。違和感の増大は留まるところを知らない。ひたすらに、純粋に楽しそうな二人との距離は、べき乗の速度で広がっていく。
ふとした拍子だ。僕は紙コップの一つを取り落としかけた。姿勢を持ち直そうとするその瞬間、何かがよくないものに、決定的な形で変わると直感した。上映はすでに始まっているし、僕はあちこちが水滴のせいでどうしようもなく不快だった。だから気付いてしまった。この変化は遮るべきだと全身が震え出し、遮るべきではないと理性が怒鳴り出す。脳まで血液が怒涛の勢いで逆流していく。僕は選択しなければならなかった。選択が僕にゆだねられているという不条理に抗議する時間ももはやなく、耐え難い頭痛に迫られ、僕は二人を見、そして―。
僕はその選択を、夢だと信じ続けることを決めた。たとえこの手が何かに濡れていたとしても。
以前雑記で触れたパン屋さんウェブサイト制作話、もうすぐ公開スタートってとこまで来た。もともとの公開されているコンテンツはどうしようもない出来だったので、全面的に書き換えるしかなかった。だって閲覧にフレーム必須+フルテーブルレイアウトっていうマーク付けの上、お店の情報は住所以外何もわからないようなページなんだよ? 最初見た時は、作らないほうがお店の印象としてはマシだったんじゃないかと思ってしまった。
さて、ちょっとプロモーションの話なぞ。よく企業ウェブサイトだと「私たちはなになにをいつも心がけています」的挨拶が付き物だけど、個人経営の小規模なお店はそれと十把一絡げにされたらお話にならない。同じフィールドで似たように宣伝したって多分駄目だ。そうじゃなくて、店が苦しい時も軌道に乗った時も、逃げずに今現在まで経営してきたという、小規模な家族経営だからこそ積み重ねてきたものをアピールする。「健康に配慮」っていうキャッチコピーそのものは溢れ返ってるんだから、積み重ねの結果としての方針であり、一つ一つの商品がその方針から生まれた作品であり表現なんだってことが伝わらなきゃ広告にならない。筋を読んでもらえなきゃ駄目なんだ。
でも僕はパン屋さんの経営に携わってきたわけじゃないから、その過程を代弁なんてしようがない。だから話を聞きだすという手法をとることにして、今日はオーナーを訪ね、お店の背景についてインタビューし、録音してきた。正味二時間くらいかなぁ。今営業されている一つのお店は、パン作りに人生賭けちゃった人たちの歴史が、今なお更新され続けている場所なんだってことが伝わるように、記事を書く。きちんと書けるか不安もあるが、他の案なんて考えてないんだからやるしかない。
ということで商用の公式ウェブサイトとしてはたぶん異質なんだろうけど、店の成り立ちから今に至る過程を、オーナーの半生を辿るインタビュー記事という形でプロモーションすることにした。もちろん、あくまでそれは柱の一本なので、お店のサービスデー告知とか新商品紹介とか、諸々の必要なコーナーも作る。来週までに現時点での完成形を提出すべく、作業開始。