クロッシング・フィンガーズ:机上のウェブアクセシビリティに対し、おさんぽさんぽ - 毒づきが反応。現在のアクセシビリティ論には「当事者」の視点がいかされていない、なる前者の問題提起に、後者がWebアクセシビリティーは特定のマイノリティーだけの問題じゃないと釘を刺した、という構図。どちらの記事も僕がそれなりに関心を持っている問題に触れてくれていたので、自分なりに反応してみる。
Webアクセシビリティというものについての考え方としては、僕は『おさんぽさんぽ』のFUMINGさんに同意する。「一部のマイノリティのために」という言い回し自体が陳腐化している面もあるし、何より「誰にとっても」を目指せなければ「囲い込み」への道と方向性としてはさほど変わらない。へたに障害者云々と言っていると、テーマの間口を狭めることになってしまう。
ただクロッシング・フィンガーズの石田さんの言い方もわかる。別にWebに限ったことではなく、バリアフリーだとかユニバーサルデザインだとか言っていても、「対応してるね」と健常者に思わせられればそれでいい的なサイトやら施設やら道路やらはいくらでもある。車椅子の幅を計算しそこねているスロープとか、タイトルロゴ画像の代替テキストがタイトル名ではなく「logo」とか。多分根本ではそれと似たことを言いたいのだろうな、と思う。好意的に想像してみると。
だからこそ、石田さんに指摘しておきたい。自戒も含めて。
当事者無視の技術論が先行してしまっている
と石田さんは主張する。ここに対して2つ言いたいことがある。一つはFUMINGさんと同様で、「当事者」を一意に決め付けないでもらいたいということ。これについてはここでこれ以上問わない。もう一つは当事者無視の技術論
の具体的な像がまったく見えない点だ。
本文中で「当事者が無視されている」としきりに訴えているが、ここで言われている当事者が「実際に見舞われている問題」の描写が記事中に見受けられない。障害者は普通の人間扱いされない場合が多い
などと言っても抽象的に過ぎる。人によっては事情を想像で補うことも可能だとは思うが、それでは文章を介した議論は進展しない。単に「恵まれない人々に愛の手を」と決まり文句を言っているようにしか見えないのだ。
当事者と会話したこともないウェブ管理者、制作者が多いというのは、今の日本の社会システムが障害者を就学、就労の場から締め出しているという所に問題がある。具体的なウェブアクセシビリティの技術についてはいくらでも学べる機会があるのだが、当事者と会話する場がない。当事者の声を知らない。当事者のニーズも、当事者をサポートしている人らのニーズも知らない。これは変ではなかろうか。そんなところから疑問を持ってもらいたい。
引用部は元記事の文末だが、ここで問題の軸がさらにぶれている。技術論の中で不足している部分があるという指摘か、高齢者・障害者をめぐる状況全般についての問題提起か、その両方か。いずれにせよ中途半端だ。何に憤慨しているかがはっきりしないから、一部マイノリティと直接接していないことそのものがWebアクセシビリティー論者の問題であるかのように見えてしまう。そんなところから疑問を持ってもらいたい
と言われても、逆に「そんなところから考えなきゃいけねーのかよ」という反感を買うのは至極当然だろう。疑問の持たせ方、というものがあると思うのだが。
問題とする部分が不透明なまま広く語られているキーワードにまつわる現状を悲観・批判する。それでは問題を共有するどころか、あなたがたが言うところのコミュニティ
は狭くなる一方だろう。せっかくWeblogという形をとって問題関心を訴えていくのであれば、一応関心を持っている一人としてより綿密な議論の提出を願いたい。
記事のことごとくにtitle要素がないのはなぜでしょうか。URLの文字列こそがタイトルにふさわしいとお考えなのでしょうか。(その後タイトルは修正されました。)そしてTrackBack先の情報がtable要素で組まれた上に物理要素で区切られていますが、tableならtableでなぜcaption要素とth要素を設定しないのでしょうか。マークアップを考えた方が視覚系以外のWebブラウザも貴サイトの情報を認識しやすくなると思いますが。
先日の「私信:社会のゴミについて」と題した文書に対し、友人から簡潔で明確な指摘を受け、自身の筆の扱いの不徹底、推敲不足を恥ずかしく思った。一方で、直接の対象とした本人からのメールも送付されてきた。僕の表現の問題かあちらの読解力の問題かは置いておくとして、こちら側の文章の根本的性格を誤読していた。さらにそれとはまた別に、文意をとることすら困難な幼稚な文章、その上愚かしい見当違いの内容だったとコメントしておく。
前回の私信の内容をふまえ、推敲不足と実感した部分を考慮し、誤読の訂正を図るため私信の再提出を試みる。
貴様は「コロセ」というコトバを吐いた理由をあの時の宴会のネタ、あるいは議論のネタにしたかったという意を示してきたな。しかもそれはもともと自分自身の意見ではなく他人のものだった、と。愚鈍な答えだ。貴様は人とコトバを交わらせること、人と関わることを根底的に履き違えている。そこに俺は一片の同情も感じないし、怠慢だと責める。それが偽善であると、暴く。
ここで繰り返しことわっておくが、俺は犯罪者の人権問題、あるいは刑法の理念における議論を貴様に説こうとしているのではない、そのような対象として貴様を認識することはできない、と言っている。「コロセ」という一言を発した貴様の顔、声、仕草に何が映っていたか。それが俺の中で尾を引いている。あの瞬間、貴様は人の生死というテーマそのものを放棄・無視した。俺が声を上げるのは、貴様が無視したものを示すためだ。俺が貴様に対し「偽善の化け物」という表現を使ったことの意味についてだ。
確認しておく。貴様は「生命について発言した」。そして俺を含め「幾人もの人間がいて、互いに交流する場で発言した」。「人が生きている限りつきまとうテーマについて貴様は発言していた」。誰かの意見をそのまま語ったとか、そんなことは問題にかすりもしない。あの場で全員が共有するテーマを、貴様は「コロセ」という一言で切って捨てた。テーマそのものを引き裂いたのだ。
俺は貴様の態度に不義を感じつつも議論として捉え、一度だけコトバを放った。だが貴様は沈黙しただけだった。現れる反応に反応し返す気すら貴様にはなかった。その瞬間に、貴様から「人間である」という重みが消えた。貴様は人間の生死を自身と共通するテーマとして捉えていない。ネタ振りなどという気の利いた言い回しをするな。それは貴様のオナニーだ。
たとえコトバを相互に発していても、幾年かの付き合いがあっても、それは人間と人間の関係ではない。貴様は俺達を別生物としてしか認識していなかった。だから俺は貴様を化け物と呼んだ。俺が過去に数多く見てきた化け物、コトバを誰にも向けぬままに振り下ろし、思考の流れを共有する行為すら拒否する化け物達と、同義だ。
世界が違う。人間と、貴様とでは。
人間のことは人間同士で考える。化け物の善意、テーマの共有を放棄した善意など要らぬ。宴会のノリの良し悪しも人の生死の在り方もみな人間社会の問題であり、化け物の問題ではない。余計な気を回す前に、人間として発言せよ。
蛇足でしかないが、「あんたよりも自分の方が逸脱者だ、そのあたりを甘く見るな」などという、意味を持たぬ愚劣なコトバが返答メールにあったな。くだらぬ自負心、偏狭な世界観における自己満足を見せ付けて満足か?しかし勘違いするな。貴様はまだ人間未満だ。人間の重み、そしてその中の逸脱者と分類される人々の重み。それらは貴様のような化け物と同等ではないし、ましてや下でもない。
最後に伝えておく。俺は貴様を化け物だと断じる根拠と意思を示した。題の通り、これは議論ではなく私信として書かれている。反証は簡単だ。貴様が化け物ではないことを示せばいい。今後にわたり示す気すらないのならば俺は貴様を化け物と見なすし、貴様も化け物らしく好きにしたらいい。それだけのことだ。
その瞬間は黙らせたに過ぎなかったが、書いておく必要を感じた。はっきりと自分が軽蔑の意を持ったと。
「社会ノゴミハゴミトシテ、キッチリ仕分ケテ始末サレルベキ」という意を、貴様は示した。
俺は今までどこの誰とクチをきいていたのだろう。確か同じ大学で同じゼミの「人間」と話していたはずだったが、勘違いだったようだ。「焼却炉へゴミを投げ捨てろ」。ゴミは、コロセと。そう抜かしたな。再利用というコトバを知らんのかとか、法的解釈のホの字ぐらいかじれとか、そんな議論をする気は失せた。そういう次元ではない。学問的帰結によるものでも己が信念の導きによるものでもなく、顔も知らぬ他者の存在を戯れにゴミ処理と同列に語るその姿は、ただの化け物だ。
社会的にゴミとして認知されるかどうかと、一個人がゴミとして語るかどうかは別問題だ。しかも「考える時間だけは誰よりもあるはずの大学生」が、だ。自分が犯罪者よりもマトモな何かでいるつもりなのか?笑わせるな、俺たちはただのスネカジリだろうが。これまでの20年ぽっち、どこかで何かを見てきたような顔をするな。貴様がゴミと語った犯罪者と、貴様と、貴様が出会い触れ合ってきた人間とで何が違うのか言え。どちらもゴミだ。俺と同程度のゴミだ。たいした価値などはなからない。ただ生まれ、今ここに「生きている」だけだ。それ以上でもそれ以下でもない。
あと何ヶ月かでTatsuki@Junkyardを名乗って1年になる。Tatsukiがなぜ@Junkyardとして発言するか言っておく。たとえゴミの中の一つでしかなくとも一人の人間として名を持ち、貴様のような化け物に抵抗するためだ。かつていいように打ち捨てられてきた過去の自分と友人達のことを忘れぬまま、化け物にならぬままに生きたいと願ったからだ。つまり貴様は同好の士でも議論相手でもなく、敵だ。
逸脱者をゴミと断じる貴様がどこぞの団体の親玉を偽善と抜かしてるのには反吐が出る。偽善に救われる者もいる。それをわかっていてなお偽善と批判するのはそれ相応の意志を持ってのことだろうと考えていたが、違ったらしい。誰かの正義を絶対でない、と批判するのは正義を語るよりも楽だ。楽な分だけ、偽善だ。偽善の化け物よりは、偽善者の方がマシだ。
今後、この件に関する貴様なりの答えが出たとわかるまで俺が貴様に話すことは何もない。以上。