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Junkieta.netlog → Article, 2005-01

2005年01月の記事

メディアか玩具かコンピュータか 2005-01-29T09-42

「テレビゲームは何が特殊って、インタラクティブなメディアなんですよ!」てな話がある。カタカナ使いすぎ。直感的にわかんねーよ、あんた日本人のガクシャさんじゃねーのかよ、どこで拾ってきたんだそんな語彙。と、ぐだぐだクダなど巻きたくなったのは、いぢいぢ悩んでいるからで。

そもそもインタラクティブ・メディアか?

だって遊んでるんだぞ。ゲームのことを鑑賞してるとは誰も表現しないじゃないか。いくら映画みたいだと言われててもさ。「漫画で遊ぶ」といわないだろ。それに双方向なやりとりと言うにはあまりにこちらからの情報送信量が少ない。ボタン一個押したか押さないかしか向こうは判断しちゃくんないんだから。こっちは向こうの情報をえらく読み取ってるっていうのに。すげぇ片思いの構図だよ。一方的だよ。

じゃあ玩具なのか?

それも変だろ。だっていじくって動かしてるだけならともかく、文字を読んだり計算したりまで「玩具で遊ぶ」楽しさなのかいって言うと違うんじゃないの。ベーゴマ遊びといえばコマ同士ぶつけあう瞬間のことであってさ、どんなコマが強いか思案しているときは遊んでるって言わないっしょ。だからコントローラーいじってる時の状況って、「玩具で遊んでる」とは限らないわけで。

じゃあコンピュータいじくりまわしてんだろ

いやいやちっと待てよ。つーかそもそもコンピュータってなんだよ。電卓ですか、レジですか。ヤツラは玩具ですか、メディアですか。それともMacとかPCと同じ穴のムジナすか。でもゲーム機がプログラミングとかに使えたのはずいぶん前の話で、今誰もそんなことに使っちゃいねぇし(せいぜいツクールシリーズ)。ゲームプレイ以外の汎用性ではまるっきり歯がたたねぇのに、コンピュータ一般と同じに扱えるわけねぇじゃんこなくそ。

ならやっぱりメディアだろ

おいおい、飛んだり跳ねたり指先ガチャガチャせわしなく動かして、その結果ばっかり目で追うようなもんをメディアと言うかい。メディアゆーたらあんた、識者にいちいち言葉尻で「問題だ」って言われたり、感動しましたってCMで語られたりするもんだろう。何が悲しくて中身の批評もなしに是か非か言われるメディアがあるもんかい。

結局なんなんだよ

俺がききてえよ。

TrackBackを実装しない理由 2005-01-23T20-12

Blogと名乗ったことに意味はあまりなかった。当時TrackBackなるものについてろくに考えていなかったこともあって導入をあっさり見送り、記事のカテゴライズとコメント機能、あとRSSによる更新情報の提供をしてみたかったという超俗物的発想によって、この何とも不恰好な似非blogはいただいたソースにとんちんかんな改造を加えられて誕生した。

今回再構築をするという段になってTrackBackモジュールを入れるか再び迷った。言及の通知というものは面白くもあり、怖くもあると最近はよく思う。どうせ通知するなら相手(とその文書の読者)にとって有益と思われる(時として批判を含む)関連情報の提供が主な用途になると思うが、相手方から自サイトに対して強制リンクを作り出させる形で自動的に機能が働いてしまうというのがどうも…。いや、手軽な作業で通知できることによってコミュニケーションの活発化と付随して色々面白い道も開けたと思うのだけれど、いまいち好きになれないなぁ…というのが現状の感想。まとめてしまうと、「使ってみたいけど、単なるでしゃばりって感じもなくはない…」と優柔不断ぶり全開でうだうだ結論の出ない堂々巡りをしていたわけだ。

結局今のところの結論としては、TrackBackモジュールの導入はしないつもり。上記のようなウダウダをしながらトラックバック技術仕様書を読んでいて、まったく別の観点で決断することと相成った。

サーバ側のトラックバック Ping URL をクライアントに自動的に検知させるには、トラックバック クライアントが特定の URL、あるいは ウェブログエントリに対応する トラックバック Ping URL を知るための方法が何か必要です。これを実現するためには、サーバの実装にあたり、生成するページごとに RDF を埋め込むようにする必要があります。RDF はエントリごとのトラックバック Ping URL の自動検知を可能にするためのメタデータです。

-中略-

注意: XHTML へ RDF を埋め込むと、現状のバリデータではエラーになってしまうため、バリデータでチェックしたいときは、RDF 部分をコメント記号で囲むようにしてください。

RSSとトラックバックにはTrackBackに関する疑問点がいくつか書き出されている。それを読んで「だからTrackBackが駄目だ」と断を下すつもりはまったくないのだが、RDFをXHTMLにコメントとして埋め込むというC.C.ライセンス語彙同様の手法はなんか嫌。Webサイトとして閲覧されても紙媒体に移されてもソースそのものを読んでも意味の通る文書を書きたいとつたない書き手ながらも願っている手前、body要素以下の中に機械に読ませるためだけの情報を掲載するという形には違和感が残る。名前空間のURI参照が実装レベルで解決されていけば、このような違和感も過去のものでしかなくなるのかもしれないけど。

しかし文書間の参照・被参照関係を自分で記述するだけでなく、閲覧者から情報提供を受けられる魅力というものもやっぱりある。それで今考えているのは、手動受付おんりぃ、この似非Blogからの直接カキコ限定、コメントの二次模造品程度の似非手動TrackBack。どうせならとことん似非でローテクなりの発想でやってみようかと。からぶったらからぶったで、その時考えよう。うん。

リニューアル進行報告 2005-01-13T05-00

リニューアルがほぼ完成。WeblogはPerlのお勉強をやり直しつつ再構築するのでまだ時間がかかるけれど、その他のコンテンツはひとまず作業完了。お疲れ様、俺。

各ディレクトリ毎のindexをサイトマップ化(一部例外あり)
ディレクトリ毎にindexを作るってのは前から狙ってたわけだけれども、すでに各ページに目次を用意してあったので、同じような記述ばっかりになってしまうのをどう回避しようか考えあぐねていた。このあたりの詳細は似非Weblogも含めたリニューアルが完全に終了してからこのサイトについてにでも書き加えておくことにする。
全body要素に共通のid属性値
" CSS signature " を付けたよ - Note @ Temporary-Depotを拝見し、即導入決定した。早い話がユーザーCSSをサイト毎に導入することを楽にするための取り組み。全body要素に共通の、しかも他のサイトではまず使われないid属性値をつけてしまえば、そのサイト閲覧時専用のユーザーCSSを作成しやすくなるわけだ。ユーザーCSS使いが現状でどれだけいるかはともかく、考え方として非常に共感した。しかしXHTML1.0 Strict DTDを読み返したらHTML要素もidを含められるとあった。なんかひっかかるなぁ。元の英文の作者、XHTML1.0のDTD読んでないのか?どういうことかな、これ。
CSSの大部分を改変、それと共にalternate stylesheetを用意
以前と同じくノートタイプではあるけれど、デフォルトのscreen,tv,projection用CSSの記述はindexページとそれ以外、という2パターンに分けた形で仕上げた。それと今回はさらにalternate stylesheetを新たに用意した。その一つdisplay.cssは、FirefoxエクステンションWeb Developerの「入れ子構造を視覚的に表示する」モードのCSSをパクりつつ、擬似要素と擬似クラスで語った「id属性値を生成」したパターン。:activeを使うのは結局のところやめにした。そのことについてはまた後ほどエントリを書くことにする。
div.sectionを(かなりインチキ臭いけど)利用
XHTML2.0に移行することは今のところ考えていないが、div.sectionもどきを使用。階層構造化という観点からいくとbody要素直下でコンテンツ全体を包む.sectionなどは見栄え目的でしかない、という話も聞くけれど個人的には少し疑問があったり。まあそのへんのことをながながと書くのは後日気が向いた際でいいや。

エントリ予告のようなエントリになってしまった(汗)けれど、大雑把な変更点はこんなところ。この似非Blogも構築しなおすつもりだけれど、Perlがよくわかんねぇ…。とりあえず現時点でのぐちゃぐちゃなコードからでも直さな。

Launchy&翻訳パネル 2005-01-11T22-51

Launchy

Going My Way: 好みのアプリケーションで開くことができるFirefox用エクステンションLaunchy経由で知った拡張。それとSmallStyle(2005-01-08)を拝見させてもらえば、およその導入手順といじくり方はあっさりわかる。

僕の場合、コンテキストメニューからIEで閲覧中ページを開く拡張ieviewとか、設定したエディタで開くViewSourceWithを使用してCSSの反映チェックとかHTMLコーディングの内容見物とかしていた。しかしieviewでは名前どおりIE以外のブラウザは起動できないし、ViewSourceWithは開くエディタを一つしか選択できない。便利ではあるけれど、使いまわしがイマイチきかんなぁ、と思っていた。

Launchyの場合デフォルトで主要Webブラウザをコンテキストメニューに格納しているし、エディタだってメールソフトだってxmlファイルをちょちょいと作ってやればいっしょくたに突っ込める。meimei 日々つれづれ経由で知ったランチャー「CLaunch」くらい使い勝手がイイ。webページ閲覧から作業に流れ込むクセのある僕なんかは大助かりだ。長い付き合いになりそう。

翻訳パネル

ブルーライトノヴァさんの紹介があった拡張翻訳パネル。一ページまるごと英語とかだったらまだ、翻訳サイトにすっ飛んでいってコピペ、またはgoogleさんのBETA版を使わせてもらってもいいのだけれど、数行の英文とかを適宜訳す時なんかはメンドイ。そこで、翻訳パネルのポップアップ翻訳機能がめちゃくちゃ助かる。ユーザーサイドでいちいち別タブを開かなくてもぱっと読める翻訳って快適だ。ただ単語ではなく文章の翻訳なので名詞一単語とかでは翻訳できないようだが、そこは以前ここで紹介しておいたDictionarySearchとの組み合わせで完璧。ビバコンテキストメニュー。

短縮表記ではなく暗号文 2005-01-11T10-43

Weblogのタイトル欄に[*]入れて、他サイトとの差別化あーんどタブブラウズでも一目でサイトを見分けてもらえるぜぃ!というノリの話。Weblog hxxks - 「短縮表記」 ( or 「簡易表記」 ) という愚行で知ったネタだが、この真琴さんのお叱りのお言葉に早くも反応が来ているのを見て、こういう流れでもアンチ信者が生まれるんだろうかと思ったりしていた。しかしその後のやりとりで火が収まりそうな気配。HTMLの要素を「機能」とみなしている時は、仕様に即した指摘もこうるさいお説教にしか聞こえないんだろうな。

しかし知らん人間の目にはそのtitleも暗号文にしか見えない。お説教以下だ。わからんなら試しに自サイトをプリントアウトして身近な他人に読んでもらうといい。[*]が何なのかわかる人は一人としていないだろう。そしてそれをあなたがいちいち説明してあげられるのはあなたが直接記事を読ませた人だけだ。顔も知らない他人が読む時、いちいち解説文を読みきかせるわけにいかないんだ。だからせめてトップページくらいフルスペルのみで記述してくれ。でなければ短縮(簡易)表記って表現がおかしい。言葉通りの意味で暗号を解釈すると、『[*]なんたらかんたら』というトップページタイトルは『[なんたらかんたら]なんたらかんたら』と記されていることになるわけだろ?

そしてこの短縮(簡易)表記がタブブラウザを意識していると言うのは妙だ。妙というより、変だ。Strangeだ。むしろ本末転倒だ、嫌がらせだ。内容が明記されたタイトルこそタブブラウジングの最大の助けだ。意味の理解できない表記が先頭にくっついてて文字幅をとられると、肝心の中身を明記した部分が隠れてしまう。タブをたくさん開いた状態にして後から参照しようと思っても、何が書いてあったのか思い出しづらいんだ。全部サイト名ならともかく、一文字の記号ではなんというサイトだったかも思い出せないんだ。現実的な手間に差が生まれるわけじゃないが、そこで思考の流れが途切れてしまう。"click here!"でいらいらするのと同じで、思考の流れとリソースが結びついていく快感を奪われてしまう。Webサーフィン中に次から次へと打ち寄せるあの思索の波、単語と文脈と論理と意思の絡み合った、自由という名の波が止まってしまうんだ。

調査の紹介が安易すぎ 2005-01-08T23-42

なかなか世間好きしそうなゲームの影響に関する記事を発見したので、メモと共に雑感を書いておきたい。

研究の紹介が半端で困る

坂元教授らは2001年11月から12月にかけて、神奈川県や新潟県などの小学5年生を対象に、よく遊ぶテレビゲームと攻撃性に関するアンケートを実施、1年後に同じ児童に追跡調査を行い、周囲の人への敵対心を表す「敵意」など、攻撃性に関する5つの指標について、その変化を調べた。

まず調査自体についてこれ以上の情報に触れた書籍、発言等への案内が見当たらないので、坂元氏自身の議論そのものを検討することができない。残念。攻撃性に関する5つの指標とか、当該調査における敵意という単語の持つ意味について、定義を知りたかったのに。

「ひどいことをした悪者に報復する」という、暴力を正当化するゲームでよく遊んでいた児童も同様に「敵意」が高くなっていた。

これに対して、攻撃回数が多い、たくさんの人を攻撃するなど、暴力描写の程度が高いゲームで遊んでいる児童の場合は、研究チームの予想とは反対に、むしろ攻撃性が低下していた。

つまり「敵意」は比較によって「増加」「減少」を示すことの可能な数値として計算されている。前述の引用文によれば「敵意」とは「攻撃性に関する5つの指標の一つ」であり、「周囲の人への敵対心」らしいが、これだけでは何も言っていないのとほぼ等しい。それがどのようにして数値化され、計算されているかが示して曖昧さを取り除かない限り、この調査が示した「敵意の増減」の持つ意味を検討できない。ゲーム内容の描写には「暴力」という語を含んでいるにも関わらず、子どもへの影響に関しては「敵意」「攻撃性」という語しか用いていないことに不自然さが残ってしまう。暴力的になる、という表現とはニュアンスが違うと推して考えるべきだろう。

暴力の正当化

暴力の正当化が為されるゲームは攻撃性を増加させる。これが記事の主題だった(ここで脊髄反射的に「テレビドラマや映画にだって」と言うとぐだぐだなメディア論になってしまうのでしない)。では「暴力の正当化」とは何なのかについての記述は?と読み返すと、記事中には以下の二点の例示があった。

この文脈でいくと攻撃する者が魅力的、または被害者が前科モンである時点で、暴力が正当化されていることになる。しかし正当化が問題となるならば、それは解釈(譲歩してもリテラシー)の問題ではないのだろうか。坂元章氏はかっこいい正義の味方だと、プレーヤーが自己同一視しやすいと語っているらしいが、それは陳腐な表現に過ぎるというものだ。

プレイヤーはいわゆるこの「現実の世界」の住人であり、当然この世界の「正義」を知る機会を基本的に持っている。ゲーム(というか表現された何かの)中で正当化された暴力と現実の正義が子どもの中で矛盾せず同居するには、子どもにも理解できる形で暴力がそれなりの説得力を持つ必要がある。そこをかっこいいとか魅力的とかいう、ワイドショーの芸能批評ですらそれで終わらせはしないだろうと思われる形で済まされると、ゲームの批評などしている身としては情けなさで胸が一杯になってしまう。

子どものメディアリテラシーについては意見がずいぶん分かれると思う。しかし子どもがいつでも一方的に情報を受け取っている、と考えることには相当の無理がある。思想ぐらい持つさ、生きていくうちに。

記事への言いがかり

読売さんはこの調査結果は保護者が見落としていた点だといちいち書いたりして、うまいこと曖昧なままに批判している。でも「現状では自主規制に頼っている」というのは書きすぎ。誰が何について自主規制に頼っているのかしらん。

URIが気に入らない 2005-01-06T08-16

実家から帰ってからというもの、あちこちのWeblogを巡りつつ、どのようにすればクエリを排除した美しいURIが定められるかと模索していた。現在のところ各記事URIの末尾が?time=うんたらかんたら&m=dなどというややこしい形になってるもんで、TrackBackさせてもらった際にパースエラー吐かせてしまったのだった。対処はすぐにしてもらえたけれど、自分ちのURIがゴミ抱えて歩いてるのがよーくわかってしまう事件だった。ディレクトリ構造いじりつつ、完成後はlocationを使っておNEWなURIへ飛んでもらうことになりそう。なんだかなあ、駄目だなぁ、自分。

しかしディレクトリ毎のサイトマップを作成しようと思い立って気付いたが、このサイトあまり情報量ないなぁ(汗)。むしろディレクトリだけ多くなってそれぞれの内容が薄い、少ない、更新遅い。最悪じゃないか、我ながら。ご丁寧に案内板作る前に、アトラクションできてから接客しろボケェ、という話。

あけました 2005-01-01T06-59

新年の挨拶でも実家のPCからアップしようと思ったら、FTPパスを下宿に置いてきてしまった(ということで、RSSのアップは大学復帰後になる)。さらに借り物のドラクエ8を持ってきたのにコントローラーがない。毎年毎年、実家に帰る際は大事なものをいつも忘れる。もはや実家にある荷物では僕のライフサイクルを持続させるためのツールとして使い物にならない。いかに自分が大学入学後に違う人間となっていったかがこんなところにも現れている。いや、コントローラーがないのは僕が大学に持っていったからだけど。

実家の様子

現在書き込みに使用しているPCは入院中の父親のもの。「動かせなくなったから直しておいてくれ」と見舞いに行った際に言われたので設定確認がてら使っているのだが、当初はホントウにゴミであった。yahooメッセンジャーの自動ログインでパスがあっていない、背景色とテキストが同色、IEの文字サイズがばかでかくてほとんどのサイトで一行に5、6文字しか入らない…。改めて、初心者とは何かを思い知らされた気がした。

母親も同様だった。携帯電話でメールが送れないから教えてくれといわれ、「まずは相手のアドレスを登録しておきなされ」と伝え始める。すると、「アドレスって何、電話番号のこと?」となる。そこからですか、母上

年末の行動(同窓会の様子)

同窓会に呼ばれた。中学三年のクラス会と聞いてのこのこ出かけていったわけだが、幹事が誰かもわからず、駅前が集合場所であるだけで、移動予定の店の場所も名前も分からなかった。そして伝えられた待ち合わせ時間を50分過ぎても誰も来ない。やっときた同級生はなぜか隣の組だったヤツ。どうやら学年全体の同窓会だったらしいことを知る。

凍えた身体でどうにか会場に行き着くのだが、結局30人前後しかいない。学年全体って300人くらいのはずですが…。友人にたずねまくってみると、連絡すら受けていないヤツが多数存在する模様。駄目過ぎる。

それでも何人かの生死不明だった友人達と無事再会できたことはとてもうれしかった。結婚したヤツもいれば、スケボーのプロになったのもいたし、すでに二児の親となっていたヤツもいた。相変わらず遊んでいるのもいるし、走り屋やってただとかスマトラのボランティアに行くとかいうのもいた。ちょっと前まで全員ちびっちゃい制服着込んで夜の校舎窓ガラス壊してまわってても(違)、なんか社会人らしくなっていくのねぇと実感。

そういう場で僕はむしろ少数派となっていた学生であり、事情を色々聞かれた。「Tatsukiが学生かぁ。やっぱりそれって過激派やってるの?」…自分がどう見られていたのか少し、悩んだ。

前後の文書
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published:2005-03-21