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Junkieta.netlog → Article, 2004-09

2004年09月の記事

おもろげなゲーム(メディア)論 2004-09-22

信州大学人文学部日本文学分野の教授が執筆している『メディアの中の読書』という論文を発見。今見つけたばかりで読んでいる途中ですが、社会学の視点で「ゲームの悪影響が語られることでどんな問いが抑圧されているか」と考え直そうとしてるのは共感できました。WEBサイト自体は見辛いけれど(汗)、まあご愛嬌で。もちっと読んだらコメントします。

ゲームの「効果」 2004-09-17

米国ではゲームの「効果」をかなり意識している人達がいます。そして何かしらの病に対する治療法としての注目は、日本でも若干あります。まあ、そうした流れの一つだと解釈できるわけですが、記事の末尾にあるコメントにちょっと刺激されたので引用しておきます。

「ゲームは体を傷つけることがないし、ゲームを上手く進めるためには、技を何度も練習して、自分の行動を強化する必要がある。子どもに行動を教えるのに、ゲームは最高の研究室になる」

陸軍、医師、看護士・・・子どもに限らずこれまでのニュースでゲームを利用しているのは、実際の職場で自分か他人の身体を傷つける可能性の高い人々です。本当の痛みを知らないから平気で他人を傷つける・・・って話は日本で耳にタコができるくらい聞きますが、平気で他人を傷つけなくては、単なる反復として自分の行為を捉えなくては、仕事が立ち行かない人達もいるわけです。いわば仕事を覚える上での「必要悪」を、「現実の人間」を実験台にせずにこなせれば、たしかに都合がいい。

友人とこのネタで話していたときに「ゲームはシミュレーターなのか」という興味深い問いをもらいました。時間をかけて考えてみたい問題です。

大間抜け 2004-09-14

自分のサイト全体を見直してみて気がつきました。「プレイヤー」も「非プレイヤー」も楽しめる批評をしたい・・・というコンセプトでWEBサイトを始めた僕でしたが、完全に考え不足でした。ゲームをしたことない人には、いきなり個別タイトルの批評から入っても唐突です。

考えてみれば当然ですが、いくら「このゲームのプレイでこういう風に感じるのではないか」と書いてみても、「ゲームをプレイする」という感覚自体が掴めない非プレイヤーには、「はあ、そうですか」としか言いようがないんじゃないかと。

言ってみればそれは、漫画を読んだことのない人に「ダレダレのナニナニって漫画のコマ割りのリズムが云々かんぬん・・・」などと語るのと同じだったのかな、と。せめてゲーム入門みたいなことをやってるサイトさんにリンクはっておくなり、自分なりの説明を作るなりするべきでした・・・。

とりあえずこれからそんな作業に入りたいと思います。はふぅ。

脳にはNO 2004-09-14

「ゲーム脳の恐怖」ネタは、ネットでゲーム関係で語る人の中で相変わらず燃え上がってるようです。森昭夫さんが新たに八月に出した『ITに殺される子どもたち』のことも絡んでいるんでしょう。

一方僕は今となっては時代遅れと言われそうな悪影響本を読んでいます。1985年だとか、もちっと前も探してるとこですが・・・。しかしこの手の議論は似すぎていますね。論の立て方から展開に至るまで。まだそんなに色々読んだわけじゃないんで長々と偉そうには語れませんが、疲れるったらないんですわ・・・。

おニューなメディアにはまることで「人間らしさ」を失う。実に多いのがこのネタ。でも「人間らしさ」なんてものは、なんでも「らしさ」にできちゃう便利すぎる言葉なわけで。逆説を言えば、ITをいじくりまわすのも「人間らしさ」だと言おうと思えば言えるわけで。

議論のバカバカしさにもかかわらず、ゲーム業界が悪役にされまくるのを受け入れてる人達がいる。その点がやっぱり問題なのかなぁ、と。悪役になるにはやっぱり悪役なりの働きをしておかないとならないし、そうした観点の土壌はどうやって育ってきたか見ていきたいかも。ちなみに、こうした脳科学情報の「読み解き方」を描いた『心脳問題』はとても面白かったです。簡潔な突っ込みが心地よくて。

ゲームが良いとか悪いとか 2004-09-13

以前レポートした展示会の特別企画についての記事を見つけました。僕が若干興味を覚えたのは記事前半の「ゲームのオモシロさについて」です。「仮想現実に没入する」ということが肯定的に捉えられてる語り草って、最近そういえばあまり見ないなと感じましたね。

「人間に対する影響うんぬん」は坂本章氏の相変わらずの「研究が進んでいない」発言。僕にはそろそろ、「進んでいない」という言葉だけならば語らないほうがいいのでは…という印象が強くなってきました。要するにわかってないんだ、というだけの話ですし…。

ゲームの良い面悪い面だとかって、どことなく暇な議論が多い気がします。ゲームに対してサンセイもハンタイも、過激な思い込みによる攻撃か、あまりにも慎重に過ぎる発言で先が見えないか。なんだかどこぞの国会みたいな空気です。疲れます。

オンラインゲームはヴァーチャルなのか 2004-09-13

最近、為替レートや国家間の収入格差という現実によって、豊かな国と貧しい国という現実世界の関係が、バーチャル世界にまで反映されつつある。富裕な国のプレイヤーたちが、ゲーム内でより有利なポジションを手に入れたり、ゲームの単調で退屈な部分を抜け出すためだけに気軽に数百ドルを支払う一方で、貧しい国の一部の人々が、ゲームを一日中プレイしてゲーム内の仮想通貨やアイテムを集め、現実の金銭を稼いでいるのだ。

いわば「通貨稼ぎのゲーム労働者」で、稼いだゲーム通貨やアイテムを企業に売っている。そして企業はこれらのアイテムを、お金を出してでも手に入れたいというプレイヤーたちに提供している。

要はゲームを「アソビ」じゃないものにしてしまったわけですね。とにかく「有利に」、そして「勝ちたい」というプレイヤーの気持ちはわからんでもないが、オンラインの特性を使ってこういうルール違反をやってしまうと興ざめですねぇ。

しかし共通認識されているルールであそぶから、複数人によるゲーム参加というものが成り立つわけであって、こういう「ズル」をしてプレイする人はこの前提を壊してしまうわけですね。でもオンラインならば充分ありえたことですし、今後ゲームメーカーはどう対処するんでしょう。ゲーム世界で貧富の差が生まれる…オンラインでなければありえないこの事態に対して、どういう方向性を打ち出してくるのか見ものです。下手を打てば、オンラインゲームは単なる現実と化してしまうわけですから。

実際に人がコミュニケーションをしつつ進めるゲーム。要はこのコミュニケーションをフィクションに閉じ込めるためのテクニックがまだ開発されていないってのが問題なんでしょうね。他者との関係というリセットの効かない要素をゲーム内に取り込んでしまい、腹痛が起きているって感じかな。処方箋は下剤になるか、食事療法か、寝て待つか…。とりあえず眺めてみます。

携帯ゲームの進出 2004-09-03

全米の1000世帯を調査し、全体像を推計したところ、携帯でゲームをする人は前年に比べ倍増していた。また、2ヵ月間で平均19ドルを注ぎ込んでいることも判明した。携帯でゲームをしない人に理由を聞くと、85%以上が「画質が良くない」と回答。75%が「操作しづらい」と答えた。

そりゃそうだ…といいたくなる調査結果を示した記事ですが、これ、米国内の調査なんですよね。1000人ってこの手の統計にしてはサンプルが少ない気もしますが、日本でやったらもっとわかりやすい結果が出そうだなぁ、と思いました。確か日本は携帯電話所有率世界ナンバーワンだったような…。

携帯電話は家庭用・業務用の各ゲームハード、パソコンに携帯ゲーム機、これらの現在普及しているビデオゲーム端末中もっとも低スペックですよね。画質が悪いのはそのせいだし、操作性はインターフェースが携帯電話のボタンであるため。でもこれらが改善されていったら、携帯電話なのかパソコンなのか、ますます意味が分からなくなりますねー…。僕はいまだに携帯対応WEBの勉強をさぼっていますが、日本でWEBをうろついてるのは携帯ユーザーが過半数、なんてことにもなるのかも。パソコンよりも携帯の方が普及率も高いわけだし、ゲーム開発もこちらに重心が移ってきたりして…。

いや、だからどうだというわけでもないんですが、携帯電話コンテンツのビジネスってまだまだ広がりそうだなぁ、と思いました。現時点で液晶表示系の端末で最も低スペックであるがゆえに、端末の進化と同時に他の業界で蓄積されたコンテンツビジネスが流れ込んでくることになるんですね。すげえ。ユーザーも開発者も楽しいだろうなぁ、この流れの中にいれば。

でも僕は携帯でゲームはしてません。画面が小さいとクラクラしてしまうので。ホログラム映像とかでプレイできればなぁ…でも道端でみんながホログラム表示してたらすごい光景ですね。

テレビゲームとデジタル科学展 2004-09-01

楽しい楽しい旅行も終わり、学生の僕は授業開始まで秒読みです。ああ無常の世の中よ。それはともかくとして、予告したとおりテレビゲームとデジタル科学展を見てきました。簡単にその感想を述べていくことにします。

まず思ったのは、高いってことです。「一般・対学生1300円」って…。学割効かないじゃないか!という悲しさ。まあ企画展だし仕方ないか…ということで入場しました。

会場内に入っていきなり、「ユビキタスゲーミング」という会場内限定の企画ゲームがあります。詳細は元のHPを見てもらうとして、これの対象年齢が小学生まで、というとこが疑問。このゲームに参加しないゆえに、会場に直接来た意味が一つ減ってしまいました。

内容は主にデジタル科学とゲーム機、要はハード面についての解説や展示がほとんどでした。これを面白がれるのは、科学またはゲーム好きの中でも一部の層に限られるのではないかなー…とぼんやり思います。コンピュータの基盤を眺めても、大体の人は感想すら持てないような気がするので。

とにかく残念だったのは、家庭用からアーケード、レトロゲームから最新のゲームまで、かなりの範囲の展示をしているのに、プレイ可能なゲームが全然ないということ。資料的価値を考えれば、「不特定多数の人々にいじられて壊れてしまったらもったいなさ過ぎる!」というのもわかるんですが、ゲームの歴史を扱うなら実際にプレイして過去と現在を比較した方があらゆる年齢の人々に体感的な理解を求められるのに、と思います。そのあたりはむしろ、ゲーム業界から敵視される中古ゲーム屋の方が役割を果たしていますね。

最後に会場出口付近に設置された売店でこの企画展オリジナルの図録を買ったんですが、これはとても面白い。開発者の言葉なんかを織り交ぜつつ、各ゲームハードに関する図入りでの基礎的な解説をきっちりやってくれてます。これを読めば会場内の解説ほとんど要らないじゃんというくらいのモノです。現物のハードを見るなら、こうした本をぱらぱらめくってからの方がずっと面白がれますね。

こういった感想を踏まえて、ゲームにどのような資料的価値を求めるのか、なんてことも突っ込んで考えてみたいなぁ…とも思いました。

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published:2004-10-08